制御可能性
何かを制御できるってのはスゴク楽しい!ということに気がついた。
2014-12-18 02:20:33
入力時間 / 11:18
制御可能性。楽しさの要素のひとつに制御可能性があるんじゃないかと思い立った。「何かを制御可能である」こと。これってスゴク楽しい!制御できるということは掌握しているということであり支配しているということでもある。
プログラムを書いていて、自分が思った通りに書けるとンゴイキモチイィイ。それはアンコントローラブルがコントローラブルに遷移したからだと思うんですよね。そもそもコンピュータ言語そのものがアンコントローラブルなものをコントローラブルに解決するための手段でもあるわけですが。
例えがわかりづらい。う~ん、自動車なんてどうだろう。最初は不慣れでうまく動かせなかったMT車を手足のように動かせるようになる快感って言うのかな。男の子はそういう「操縦する快感」がわかる人、多いですよねきっと。操縦する快感ってのも結局は制御可能性からくるものだと思うんですよね。
何かを掌握すること、何かを支配すること、何かを制御すること。これってスゴク気持ちいい。その「何か」には当然自分自身だったり人生の事も入ってるわけで、自分をうまく制御できたときはやっぱ楽しいし気持ちいい。転じてうまく制御できなかった時は悔しい。
そう考えるといろんな事の制御・支配を巡って日々生きているのかなとふと考えるに至ったわけです。テレビゲームなんかもそうだけど、制御可能性って要素はかなり重要だと思うな。うまくゲーミフィケーションに活かせないかなと考える。
自分が予期した通りに事が運ぶとやっぱり楽しい。でも予期した通りに事が運ばないと「なにくそっ!」ってなって、それはそれで楽しい。そういう意味で「制御を意識すること」って大切なのかなっておもた。
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