社員は会社の駒であれ
「会社の駒」って良い意味合いであまり使われませんが、私は社員たるものそう自認して然るべきだと思っています。
2014-10-02 00:50:29
入力時間 / 11:57
なんだかんだ社会で生きている人間って社会の歯車。ネガティブにもとれる言葉ですが、ポジティブに取れば「誰もが社会の歯車になって世界を動かしている」とも取れる。結局のところ本人次第なんですよね。「会社の駒」もそう。歩だって飛車・角だって将棋には必要だ。ましてや歩なんて成金になれる。夢があるじゃないか。
なぜ社員は駒と考えるべきか。それは将棋に例えるならばそのゲームに勝つための最良の手段がそうだから。自身を殺せということではない。自分が会社の駒として、どう責務を役割を果たせるかを考える事が結果として会社の業績に影響を及ぼすと私は考えているから。そう考えたほうがスッキリしないかな。
自身の考えや思惑は主張できる立場になってからすればいい話で、まずは駒として会社に貢献するということが近道だと思うんですけどね。なんか現代社会って変に「個人の意思を尊重」みたいな空気があって気持ちが悪い。統率されていない組織なんて組織じゃないじゃん。そういうのは独立起業や個人事業でやれと。
往々にして義務・責務を全うしない人間ほど権利を主張するもんです。将棋で各駒が各々の主張をしてたら戦いにならんだろうに。そういう統率能力を含めて企業力なんでしょうけどね。
でもホントブラック企業関連の記事を見るとよく思いますけど、企業に文句言うやつは全員独立したらいいと本当に思う。何も文句言わず自分でやりたいことやって生きていけばいいと思うよ。企業の傘の下で文句ばっか言ってる奴はさぁ!!!(妬み)
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