集団的自衛権は戦争を起こすのか
札幌にオスプレイがくるらしい。それに反対する札幌市民がいるというのだから驚きだが。なんでだろうね。
2014-07-17 05:25:43
入力時間 / 23:55
7月20日、札幌は丘珠にオスプレイがくるんですって!あの噂のオスプレイ!ちょっと写真撮りにいきたいなーと思って検索したら、札幌にもいるんですね「オスプレイは出てけ!」みたいな人たち。なぜなんだ。そういう人たちはいったい何を考えて、そして何処に向かっているのだろう。
ここのところ「集団的自衛権」も論争の的になっていますが、集団的自衛権の行使を容認することは果たして日本が戦禍に飲まれることと同義なのか?むしろ集団的自衛権を容認しなければ日本は未来永劫戦禍に飲まれないのか?何がそもそもの問題なんだろう。
とはいえ意味合いや解釈が難しい問題なので何が答えか正直わかりませんよね
日本の同盟国が他国に侵攻されたとき、それを助けない事が日本の美徳なのか。「対岸の火事」なんて言葉がありますが、それって国際社会の中の日本を見た時にどうなんだろう。日本国内だけが平和だったらそれでいいのか。という話ですよね。とはいえ私は自衛隊でもないですし、だだの国民としての戯言の域をでませんが。
身内に自衛隊員を持つ人としてはPKOの時と同様に複雑でしょうね。
日本は憲法9条の関係で戦争という話題にはとてもデリケートですよね。オスプレイの問題にしてもそう。米軍基地問題にしても。まるで武力の一切を放棄すれば平和でいられる、みたいな錯覚。自国が平和だったら、近隣諸国で戦争しててもOKみたいな感覚。
賛否や解釈の誤差はあると思いますが、集団的自衛権とはとどのつまり「友人が攻撃されていたら助ける事ができる権利」だと思います。攻撃されている友人を見捨ててでも自分は平穏を享受したい。それって規模の違いはあれど、学校のイジメ問題と同じだと思うんですけどね。
知らぬ存ぜぬ、では国際社会で日本はやっていけないと思うんですけどね。
自分を守ること。守ると宣言すること。そのために自分を鍛えること。私はそれがイケナイことだとは思わないがな。
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