遺書を書いてみたら
無職になった頃からですかね遺書を用意するようになったのは。悪く無いですよ。
2013-06-26 04:29:52
入力時間 / 13:03
遺書。死んだ時に「まとめて消せるエロ画像フォルダ」を消してもらうためのものではあるが、遺書を書くってことは死を考えるってこと。死を考えるってことは人生を考えるってことだ。なんとなく日常に忙殺される日々から少し離れて、生きることの襟を正す意味を込めて遺書を書くのはいいもんだと思う。
とは言え、毎年毎年書いていると内容はどうも陳腐化してくるような気もする。つまるところ自分が死後に伝えたいことと言えば感謝と謝罪くらいしか無いためだ。生んでくれて、育ててくれた両親への感謝と、私が生きることを許容してくれた社会への感謝。あとまー先立つ事が前提なので謝罪になるのかな。
遺書を書くにあたっては、いろんな遺書を調べてみるのもいい。有名な遺書だと日航機墜落事故で亡くなった人の遺書や雪の遺書や特攻隊の遺書なんかですかね。平々凡々な日常を甘んじて受け入れている私なんかから見ると、なんとも考えさせられる内容です。お時間がある人はぜひ読んでみてください。
特攻隊の遺書で印象的なのは「20年も生きることができて」というように、20代での死が決して早いものではないというような言い回しが多い点でしょうか。それは少なくとも今よりも死が身近だったからなのかなとも思いますが、今よりも密度の濃い生活だったのかなとも思います。
私も34年間しか生きていませんが「34年間も生きた」という実感はあります。満足とも違うのかもしれませんが、友だちの何人かが若くして亡くなっている事も関係しているのかもしれません。34年間生きれば十分私にとっては長生きだし、やりたいことをやれた人生だと思っていますから。
人間は恐らく本能的に死を考えないように設計されているんでしょうね。何かのきっかけが無い限り、死を想うことなんてありませんから。もちろん死を考えてばかりいては陰鬱な人生になっちゃいますしね(笑)でも、やっぱり時折考えるべきだと私は思います。
人間五十年なんて言われたのは何百年も前の話ですが、今は人間80年になっちゃいました。とは言え、夢幻の如くなりってのは変わりませんけどね。一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。いつかは必ず訪れる死。そのための準備はあるにこしたこたぁないっすよね。
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