悩みの源泉
この身を焦がすような悩みはどこからくるのか考えてみた。意外と簡単だった。
2013-05-09 06:28:24
入力時間 / 12:27
人間誰しも悩みますよね。「考える葦である」とはブレーズ・パスカルのお言葉ですが、悩むから人間であり人間だから悩むとも言えるのではないか。でも悩みって時には鬱陶しい。時にはっていうか、むしろ邪魔臭い。この「悩み」はいったいどこからやってくるのか考えてみた。
悩みの源泉はゆとり
これでまず間違いないんじゃないかなと。え?なんか矛盾してない?って気はするけど、恐らく「悩める状態」というのは「ゆとり」が無い状況では発生しない。「考えるゆとり」があるから「悩む」のではないか。もしくは「選択するゆとりがあるから悩む」とも言えるかもしれない。
例えばすごく腹が減っていて、目の前にラーメンがあったら何も悩まない。
例えばちょっと小腹が空いていて、ラーメンと餃子定食があったら悩む。
基本的にはそういう事なんじゃないかな「悩む」ってことは。選択肢があるから取捨を考えるし、ゆとりがあるからそこに思考を費やせる。まさに贅沢な悩みだ。お、うまいこと言っちゃったね。
今よりお金ない頃、今より仕事ない頃、まったく悩まなかった。目の前の事にフォーカスしてたから。それどころじゃなかったし。でも、今はすごく悩む。これは私が人生に対して怠慢であることの証明に他ならないのではないか。
多くの場合「悩んだ所で解決しない」し、また「悩んだ所で答えは変わらない」。それが理解できているにも関わらず悩むというのだから救いがない。私はもっと追い詰められる必要があるのかもしれない。
思考・思索を悩みに費やす暇もないほど、不安や焦燥に駆られる暇もないほど。
安寧はこころを駄目にする。いや、もちろんそれは私の心が弱いためだが。
自分を追い込むために、ちょっとなんか突飛な事でもやってみるかな。
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