贅肉とインターフェース
どうやら私の心にも、身体にも、生活環境にも、コンモリと贅肉がついていたようだ。
2013-03-25 13:12:14
入力時間 / 10:47
必須じゃないものをすべてを捨ててみよう。と思いたち「必ずしも必要ではない」ものをすべて勿体ないけど捨てることにした。これは気分転換でもあり、身を軽くするためでもある。
私は鬼のような貧乏性で、100円ショップに行けば必ず「使わないもの」を買ってしまう上に、「これいつか使うかも」と物を捨てられない性分でもある。それ故に、私の部屋はかなりゴミゴミしている。気分を一新すべく、それらすべてを捨てる事にした。可能な限り「身体ひとつ」に近づきたかったので。
いろいろな物を整理していて「これはユーザインターフェースと同じだな」と思ったのだ。UIとは簡潔である必要がある。「便利だから」と様々な要素を盛り込めばUIは悲惨になる。そんなこと誰でも知ってるわな。でも、私の実生活に置いて「和田憲幸というUI」はまさにソレであり、悲惨な状態だったわけだ。
裸一貫で生まれたのに、気がつけば何やかんや持っていて「いつか使うかも」「捨てたら勿体ない」「捨てたら後悔するかも」なんて考えて、いいよいいよで自分というインターフェースはゴチャゴチャしていく。最低だ。それは良くないぞ。
心も、身体も、生活環境も、そしてユーザインターフェースも。贅肉はやっぱり良くない。「切り捨てる勇気」を持たない限り、無尽蔵に収集がつかなくなる。そうなってしまえば方向性を維持するのは難しい。
シンプルである。ということは単に要素を削る事ではない。必要か否かを突き詰める事であり、目的を明確で簡潔にした結果である。UIがそうであれば美しいように、私の人生もかくありたいものだ。なので、捨てよう必要不可欠なもの以外のすべてを。
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