誰がために働くのか
寝る時間、食う時間を惜しんで、命を削って、誰がために私は働くのか。
2012-12-20 12:52:09
入力時間 / 21:33
会社のために働くのか、お客さんのために働くのか、社会のために働くのか、家族のために働くのか。もちろん働く動機なんて人それぞれで答えは無いかもしれない。でも私はこう思うのだ。「自身のために働く」のだと。
こんな事を突然書くのも、ちょっとホッコリしたニュースを見たもんで。
下呂警察署の「ゲロッピィ」が抜け殻のように
上記の記事を読んで頂ければわかるんですが、ちょっと和みます。
ちなみにゲロッピィに関してはこちらをご参照ください。
記事中に「非番や休日にボランティアで」とあり、ゲロッピィさんらの活動が私的な時間を割いて行われていたものであることがわかると思うのですが、このことをワーカーホリックだと思うでしょうか。私はそうではないと思います。あくまで推測になりますが、きっとその事をするのがゲロッピィさんらにとっても目的だからだと思うんですね。あ、ややこしい。
働くことは生きることの目的とおなじ
ということだと思うんですよ。ゲロッピィさんらにとって「社会の秩序を守ること」は「警察署で働いているからそうする」のではなく、「自身がそうでありたいと願う」故にそうしている。ということだと思うんですよね。なんというのかな、自分自身の願う目的のためにそれを施行するっつーか。会社に言われたからとか、上司に言われたからとか、お客さんに言われたからって事では無くて、自分がそうあるべきだと望むからそう在あるというか。
こちらの動画のナレーション「寝る時間、食う時間を惜しんで何度でもやる」というフレーズやAppleが新入社員に初日に渡すメッセージを「ブラック企業だ」と思う人がいるんですよね世の中には。私はそういう考えの人間が世の中に生まれるというのは、社会が歪んでいる証拠だと思うんです。
自分がやりたいことをやるために、勤務時間外に働くことは理解し難い事じゃないと私は思うんですが。きっと「ブラック企業と言う人たち」は「誰がために働くのか」と問われれば「会社のため」って答えるのかなぁと私は思います。その事が好きで、その事に従事したいと願う者にとっては勤務時間もへったくれもないのだから。
もちろんすべての人が自分の望む仕事に就けるわけではないだろう。でも、自分自身が従事する仕事を愛することや、誇りを持つこと、そして情熱を費やす事は誰にでもできる事だと思うのだ。「働かされている」と考えている以上はそういった思考に至る事はできないと思うが、考え方や気持ちひとつで仕事はガラッと楽しくなるし、仕事が楽しくなれば必ずその先が見えてくると私は思う。
これからどれだけ働けるかわからないけど、今後も私は「自分が働きたいから働いている」と胸を張って言えるような人生を送って行きたいなーとゲロッピィさんの記事を見て思いました。
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