自分の完成形
いつの頃からか意識していた自分の完成形。
2012-07-05 06:22:47
入力時間 / 11:31
歳を重ねる毎に「自分は完成に近づいている」と思い始めたのは20代後半の頃か。
完成というといささか驕っているような気もするが。
ここでいう完成とは何を指し示すのか。
人生は選択肢を選ぶ作業
だと私は思っています。四六時中、常に迫られる選択。その選択の連続が人間の軌跡となり人生を構築していくのではないかなと私は思っています。若い時分は「自身が真に納得できる選択」がなかなかできない。あるいは「自身が選択したことの理由を十分に説明できない」ことにイライラしたりもするだろう。しかし、多くの経験や知識を得る中でそれら選択肢のひとつひとつに納得し理解できるようになることが私の中では「自分の完成」だと考えている。
つまりは自分の行動・言動に納得できるかどうか。という事なんですかね。ひいてはそれが「歳を取ると丸くなる(穏やかになる)」ということと繋がっているのかなとも思います。本当に丸くなったものだ。
ここでひとつ注意したいのは「自身の完成形を目指す事」と「目的を目指す事」は別な話ということだ。自身の完成形とは、自身の人生に於いての目的までの道順のようなもの。自身が完成形に近づけば近づくほど、自分自身がそれを望み、納得した上でのルートを選択することができるということ。たとえそれが遠回りであったとしても。
とはいえ真の完成まではまだまだ遠い。死を迎えるまでに完成を迎えたいものですね。
P.1202