不退転は目的ではない
野田首相が不退転を連呼するので不退転という言葉が嫌いになりそう。
2012-05-22 06:37:55
入力時間 / 13:29
初志貫徹とか不退転とか、苦難・困難に負けず信念を貫くことが美徳とされがちな日本。
しかし、私は必ずしも退かない事が合理的ではないと考える。特に民主党を見ている限りでは。
これは高度情報社会の影響も少なくは無いだろう。過去の情報の蓄積や膨大な情報をもとに、僅かな情報の集積からある程度、結果を求めやすい時代になったことも少なからず関係している。簡単に言えば「失敗」を知るに足る時間が短縮化されたと言える。もちろん全てがそうであるということでは無いが。
ちょっと旧聞になるが一時期、野田首相がバカの一つ覚えのように「不退転の決意で」を連呼していた時期があった。「目的があって、それを達するために不退転の決意」なのではなく「ただ退かないぞという決意」なんだなと私は感じた。「不退転」は目的ではない。
確かに決意をもってそれを貫徹するという気概は大切だし美しいものだと思う。しかし、その貫徹すべき事象が適切ではない場合、貫徹すること自体が愚かであることに否定の余地は無いだろう。達したい何かがあるから貫徹するのであって、その目的地が誤りだった場合は素直に一度、退いて方向性を正すことこそが本筋だろう。
人生も経営も政治も膨大な分岐を選択する作業のようなもの。誤った選択をしたのであれば、その誤った道を無駄に突き進むよりも、一度引いて方向性を修正するべきだ。そんな変なところに無駄な意地やプライドは不要。誤りを受け入れるだけの許容を持つべきだ。
mixiも一度、過去のレガシーインターフェースに戻してもいいと思うんだけどなぁ。
と考えていたらこんなこと思った。
短い人生、合理的に生きていきたいもんです。
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