売るものの定義
これはあくまで私にとってのガイドラインですが。
2012-04-23 23:52:05
入力時間 / 24:14
ちょっとうまくまとまってきたので備忘録がてら書き留めておこう。
私が作ったプログラムは大きく分けて売るものと売らないものに分かれている。基本的には「売れそう」か「売れなさそう」で判定するわけだけど、「売れなさそう」なものが低機能であるわけではないのが悩ましいところ。また逆も然りですけどね。
売るものの定義
私の中での話ですが、私が「売る」と決めることができるプログラムは費用対効果がしっかりと見込めるもの。お金をもらった分は最低限、働いてくれるよ!と自信を持って提供できるもの。という自分の中のルールが一応あります。なぜなら「買って損した」って言われたらあたしが傷つくから。後味悪いですしね。
売らないものの定義
売ったとして、その対価(代金)の回収を見込めないもの、または実感する事が容易ではないものは売ることにまだ抵抗感があります。もちろん商売ってそういうものだけでは無いのだけど、なんとなくね。接客業をやってた頃からそう考えてるけど、貰ったお金の分はしっかり働くことを保証したいじゃないですか。
対価の個人差によるジレンマ
そこでひとつのジレンマが発生するのです。WebpadやDropCloudなどは無償で公開しているのですが、「お金を払いたい!」という利用者が多くいる反面、ダウンロード数自体はそう多いものでは無いんですよね。そしてその価値の恩恵を受けることができる人も恐らくバラつきがあるんだろうなと推測しています。
Aという人にとっては1万円の価値があってもBという人にとっては1円の価値もない。実際そういう製品って世の中にはたくさんあると思うんです。いまつくってるLifelogsも使う人によっては「金払っても全然イイ!」ってものになると思うんだけど、万人からお金を取れるようなものじゃないんですよね。これは恐らく対価の個人差によるジレンマだと思います。
かといってドネーション(寄付)はイヤ!
寄付されるほどお金に困ってないからっ!というのがドネーションにしない理由です。
なんとなく抵抗があるんですよねドネーションウェアって。
そこで提唱したいCaffè sospesoウェア
Caffè sospeso(カフェソスペーゾ)というのはナポリの方にある(今はないらしい)風習的なもので「裕福な人がコーヒー2杯分の代金を払って1杯飲む。お金の無い人がもう1杯分にありつける。」みたいな感じのちょっと粋な風習だったようです(出典:絶望先生)。
まぁこの仕組みは表層に出ていないだけで、現在の商業の大部分はこの仕組みによって利益を担保されていると言っても過言ではありませんけどね。これをしっかりと明示するというのはアリなんじゃないかなと思うのですよ。少しニュアンスは異なりますけど「お金を持ってて価値を認めた人は金払って使う」、「お金が無い人、またはお金を払うまでの価値を認めない人は無償で使う」。ちょっと不公平なような気もしますけど、ドネーションよりはこういう仕組みを明示したほうがシックリくる感じ。
プログラムを作る上での一番の目的ってやっぱり売れることじゃなくて使われる事なんですよね。
こういう仕組みがしっかりと形になればちょっと面白いかなぁなんて考えてます。
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