時間の起点
社会で生きている人には必ず時間の起点というものが存在する。
2012-04-02 16:08:55
入力時間 / 09:36
まぁ上の表をみてほしい。私が社会人だった頃のものと今のものだ。
社会人の多くは出勤時間が起点になる
あなたがもし社会人(会社員)ならば、あなたのライフサイクルをいま思い浮かべて欲しい。きっと「出勤時間」が一日の起点となっているだろう。なぜなら出勤時間は決定済みで不可避な時間だからだ。逆に言えば社会人は「出勤時間」があるからこそ、一日を意識すること無く「一日」として認識できているんだ。知っていたかい。
無職には起点となる時間が無い
私は無職になって数カ月後には「1日」という感覚が消失した。1日とか1週間とか1ヶ月とか、そういう時間の感覚って実は社会人だけのものなんですよ。私に残っているのは「何時間」という感覚だけ。これはややこしい話だな。つまり「今日は0時に起きたから16時くらいに眠くなるだろう」というような曖昧な感覚っていうのかな。まぁ16時間で案外眠くならないんだけどね。
時間の基点・起点が無いから時間というものをとても緩く使えるのが無職の特権だけど、1日・1週間・1ヶ月という単位が消失するから記憶の整理やスケジューリングが大変になるのが欠点なんです。自分で書いててわけわからんぜ。伝えるのがとても大変。
社会人ってのは形のある入れ物の中に時間という液体を注ぐようなイメージなんですよね。
無職は入れ物自体が最初から無い状態。ただ時間を使うイメージ。
う~ん。伝えづらい。
まぁとにかく時間の管理や時間を見える化することってスゴイ大切なんですって!!
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