これが最期の
これが最期の、と頭に加えると人生が色めき立つことがわかった。
2012-03-18 18:15:04
入力時間 / 11:37
今日、いつものように散歩に出る時に「これが最期の散歩だったら」と思ってみた。
景色がいつもと違う。歩く速さもいつもよりゆっくりとして、多くの景色に目を配った。
茶道では千利休の残した「一期一会」という言葉があるが、本質的にはそれと同じ事ですよね。
「いつか死ぬ」なんて頭では理解できても、その本質は今生に在る限り理解できないのかもしれない。
でも死を本質的に意識できなくても、瞬間瞬間を最期だと思うことは比較的容易だ。
これが最期の水
そう思って水を飲んでみて欲しい。おそらく一気に口に流しこむなんて事はしないだろう。
一口一口、水の味や感触・温度を確かめながら飲み込む。いつも飲んでいる水が違って感じる。
人間は無意識に生きている。だから意識は意識しないと呼び覚ますことはできない。
無意識のまま生きて、無意識のまま死んでしまえばそれは勿体無い事だ。
感じることができるうちに意識して感じることを感じたい。
常時意識を全開にすることなんてできようはずもないが「これが最期」だと思って何かを行う事は、その事を感謝するに足る十分な動機づけになる。「これが最期の仕事」ならきっともっと情熱を注ぐだろうし、不平不満も出ないだろう。
「これが最期の食事」ならの残すこと無く、一口一口ゆっくりとその味を心に刻むだろう。
本当に最期が来るまで人は案外無意識に浪費してしまうものだ。
森羅万象のすべてと接する時に「これが最期の」と付け加えてみて欲しい。
きっと人生が色彩豊かに輝き出すことは想像に難くないから。
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