存在しないものの価値
デジタル社会が加速して行く先はちょっと怖い世界かもしれない。
2012-02-22 08:31:41
入力時間 / 09:38
グリーのソーシャルゲーム 探検ドリランドのアイテム不正複製が話題になってますよね。元々存在しない「アイテム」をお金出して買う人がいるっつーんだから、それはそれでスゴいことだと思いますがね。
すこし前のカードゲーム全盛の頃は「まるでお金を刷っているようだ」と揶揄されましたが、ソーシャルゲーに至っては「刷る」という工程すら無く、数字をちょこっといじるだけでお金が生まれるってなんか不思議ですよね。電子世界上にしか存在しない、この世に無いものを買うという行為。違和感がある。
初音ミクのライブも私はびっくりでした。この世に存在しない人のライブ。日本人ってスゲェなって思いました。この世界に在る無しに関わらず、それを自身の脳内で補完することができると言うのは日本人の想像力が豊かであることの象徴なのかもしれませんよね。
と、いろいろ考えていたのですが、私の生業も結局のところ「存在しないもの」を提供する事なんだと気付かされたわけです。テクストやバイナリで形成されるデータというのは電子世界上にしか存在しない。それを提供することでお金を得るという行為は果たして正しいのだろうか、なんて考えがぐるぐると。
今後は楽曲・書籍に留まらず、多くのものが電子化していく未来は不可避です。そうすると「存在」というものの定義すら覆されるかもしれない。まぁそもそも自分の意識の外側は本当に存在しているかどうかを証明する術は現状無いわけですから、基本的には何も変わらないんでしょうけどね。
つくづく「生きてる」という事はフワ~っとした曖昧な状態なんだなぁと痛感します。
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