与えられると馬鹿になる
人間て生き物は与えられ続けると馬鹿になるんじゃないか。
2012-02-16 14:18:04
入力時間 / 16:02
App StoreのFacebookアプリのレビューがひどくて笑ってしまった。iPhoneやiPadを持っている人はぜひ覗いてほしい。なんら建設的ではないレビューが溢れていて、見ると切なくなること請け合いだ。
世界的に不景気だと騒がれている昨今ではあるが、私の記憶の範囲では数十年前よりは確実に生活は豊かになっている。にも関わらず不平を漏らすのは何故なんだろう。その答えはおそらく、無尽蔵に与えられ続けると人は馬鹿になるという答えに帰結するのではないだろうか。
若者や子供が一律に馬鹿になったとは思わないが、無尽蔵に親から多くのものを与えられる子供に創意工夫は身に付くのだろうか。限定的に与えられた物の中でそれを活かすという発想は生まれるのだろうか。与えられる事に馴れ過ぎて、与えられた物への不平を漏らすだけに終始してはいないだろうか。
例えば私が小学生の頃は携帯電話なんて無かったし、当然ソーシャルゲームなんてものも無かった。それでも学校では様々な物が遊び道具になった。例えば定規や消しゴムなどの文房具ひとつとってもそうだ。学校に持参できる限られた道具の中で遊びを見つけるというのは小学生ならではの醍醐味ですよね。
それは限定的に与えられた物の範囲で「創意工夫を凝らして楽しむ」という発想を育む事になる。
様々なものを無尽蔵に与えられる子供たちに、そういった発想は生まれるんだろうか。
与えることが必ずしも善ではない。
時には与えない事が結果として善になることもあるんじゃないだろうか。
人生とは有限であり、その有限の中で無限に近づく行為だと私は思っている。
有限の中で無限に近づくためには何よりも知恵が必要だ。
「与えない」は知恵を育む最良のメソッドだと私は思うんですけどね。
与えられる事が当たり前になり、与えられていることへの感謝を忘れてしまっては何が何やら。
物質的には豊かな時代ですが、精神的には退行してるような気がする昨今です。
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