父が事業をやっていて
私の父は事業をやっていました。運送業なんですけど。
2011-09-15 23:53:17
入力時間 / 13:48
運送業といっても重機の運送をやっていたんですよ。重機というのはショベルカーやブルドーザーなど遠隔地に自走するのが大変な建設機械の事です。父の会社の名前は新大和商運株式会社。もうとっくの昔に倒産しましたけどね。
私が物心ついた頃から父は雇われ社長で、いつ頃か忘れたけどあまり景気の良くない時期にいろいろあって独立しました。本人曰く「決して起業したかったわけじゃない」と述懐してたと思いました。で、私が専門学校に入った時に父さんの会社は倒産しました。大事なのでもう一度言いますね。父さんの会社が倒産したんです。
父が社長なもんだからよく会社に遊びに行ったりしてましたね。自宅に無線機があり、父は自宅から白ブリーフ一丁で指示を出しながらゴロゴロするなんて生活も見ていました。振り返ってみると私のいまの体たらくは父ゆずりなのかなとも思います。昼過ぎまで寝てることもざらでしたしね。徹マン明けで。
そこそこ裕福だったと思います。戸建ての持ち家に住んでいたし、欲しい物はなんでも買ってもらえた。パソコンもバイクもなんでも。ただ、テレビゲームは嫌いだったようでゲームのソフトは新聞配達をして買ってましたけどね。いま考えると経費で落ちるものはなんでも買ってもらえたんですね。
しかしながら、社長という稼業は楽ばかりではありません。時には「生活費が無い」と夫婦喧嘩をすることもしばしば。しばしばというか結構あった。社員に給料を払ったら自分のお金が無いということもよくあったと伺いました。父は私と同様に蚤の心臓の持ち主なのでさぞや胃が痛い日々を送っていたことでしょう。
そんなこんなで父さんの会社は倒産しました。当然自己破産もしました。家も売却され一家は晴れて離散することに。いつの日か父に「いつか会社をやりたい」と言ったら「やめといたほうがいい」と諭されました。父のその発言にはいろいろと重みがありました。事業をやるってのは大変なんだぞ。と。
それでも私は父の背を見て育ったのでいつか事業をやりたいなと思い続けています。別にお金持ちになりたいとか、そういうことじゃなくて、純粋に父と同じように会社というものを作ってみたいってやっぱり思っちゃうんですね。でも父を見てきたからこそ事業というものが生半可な気持ちでできないことはよく知ってるつもりです。
父さんの会社は倒産しちゃいましたけど、それでもやっぱり私はどこかで父の背中を追っかけてるのかもしれませんね。親の影響力ってやっぱり大きいですよね。
P.934