誰がために鐘は鳴る
そは汝がために鳴るなれば~とはヘミングウェイの小説でもおなじみのアレですね。
2011-07-15 14:54:48
入力時間 / 12:23
出典は詩人ジョン・ダンという人の詩の一節らしいです。
ヘミングウェイの小説もジョン・ダンも関係ない話をするわけですがこれから・・・。
誰がために鐘は鳴ると問われたら私は自分の為にのみ鳴ってると言うでしょう。B型ですから。いや、血液型を理由にしてるわけじゃありませんが、私は自分勝手で自己中心的な性格と自負してるところがあるので。世界は私を中心に廻ってるって32歳になった今でも思ってますよ。
自己愛については散々書いてきましたがもっと書かせて!
私は生まれてこのかた、誰かのために何かをしたことがない。そう断言できる。すべては自分のため。そう思っていままで生きてきました。仕事だってなんだって、お客さんの為だなんて思ったことはありません。すべては自分のためです。書いてて思いましたが性格歪んでますね私。
でも私はこうも考えています。自分のためは即ち他人のためでもあると。自己愛を追求すればそれは博愛に通づると。もちろん帰結するのは自己愛ですが。それをとくとくと説明させてください。
自分のためはお客さんのため
例えば仕事での話。自分の能力を高めるため、そして自分の次の仕事へ繋げるため、またお客さんから信頼を得るため。これらの動機はすべて自己中心的な自分のための動機です。しかし、自分のことを真に考えるからこそ妥協だとか手抜きは逆に許されないと思うんです。自分を最も大切にするからこそ下手な仕事はできない。つまりは回りまわってお客さんの為になる。もちろんお客さんのためってのはオマケみたいなもんですが。
自分のためは会社のため
私は自分を愛するが故に自分が所属した会社を愛してきました。なぜならその会社は一時とはいえ自分の居場所だから。自分の居場所だからそこに尽くすのは自分のため。そしてそれはひいては会社のためであり愛社精神と言い換える事もできると思っています。自分が頑張ることは自分のため。そしてそれが企業の成績に影響して自身の評価も高まるわけですよ。
自己研鑽こそがすべて。私はそう思います。他人がどうだっていいんです。自分が一番大切なんです。そして自分が高まれば必然的に他人のためにもなる。これってすごい合理的な循環だと思いませんか。なので私は自己愛で自己中心的な自分が好きですよ。驕っても「誰かのため」なんて言えません。あくまでも自分のためです。
自分のためなんだから頑張るでしょう。自分のためだけのためなんだから。
誰かのために生きるわけじゃない。やっぱり自分の為に生きるもんだと私は思ふ。
誰がために鐘は鳴る。もちろんそれは自分の為に鳴るもんですよ。
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