ドMの主張
いまさらですが私はドMでして。何故マゾヒズム的なのかを主張させてください。
2011-05-25 06:39:52
入力時間 / 11:09
私は「痛み・苦痛は快楽の素」と考えています。肉体的・精神的な痛みや苦しさの延長線上には十中八九快楽が待っていると思うんですよ。これは何もプレイだけじゃなく人生においても同様でして。
これは真理と言ってもいいんじゃないかな。苦しいことや辛いこと、痛いことの先って絶対良いことしか無い。ようは痛みや苦痛とは点ではなく線なんですよね。1次元で完結しない。だからドMは痛みや苦しみを許容できる。受け入れることができる。そしてその事自体を愉しむ事ができると私は思うんです。
痛みや苦しみを敬遠する人はそれらの表層しか見えてないんじゃないだろうか。痛みの奥を、苦しみの奥を知ろうとする事がマゾヒズムのスタートラインなのだと私は思うんです。これは非常に高度な叡智を有する人間という種にのみ与えられた愉悦ですよ。
痛みや苦痛・羞恥・それら諸々は本能的に敬遠しがち。火を嫌う動物のように。でもその中にも確かに愉しみが、快感があると思うんです。「痛い」ををただ痛いで終わらせない。その痛さを知ること。知るゆとりを持つこと。そしてその痛さの先を見ること。それこそが超弩級マゾヒズムの愉悦だと思います。
おそらくですがマゾの人はどこか客観的に自分を静観してるもう一人の自分が居ると思うんです。なんて言ったらよいんだろうか。一粒で二度美味しいというか。説明がすごくしづらいけど主観の自分と客観の自分が相互に愉しめるというか。わかりづらいですね。
とりあえずMじゃない人はぜひ一度、Mの世界を知ってほしい。痛みの先を。苦痛の先を。そしてそれら自体を受け入れてみてほしい。朝っぱらから少し変態的な話ですいません。
でもMは一粒で二度美味しいのです。
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