国や企業は国民の命を守れません
というと語弊があるかもしれませんけど実際そうです。
2011-03-20 15:12:23
入力時間 / 19:05
最近の報道に違和感を覚えるのは国家というものにあらゆる責務を期待しすぎだからというのもあると思うんですね。基本的に自分の命や家族の命は自分の手で守るしか無いと私は理解しています。それは国に委ねちゃ駄目だし、国だって国民ひとりひとりの生命の保障なんて現実問題できないでしょうという話です。
人生人間万事 塞翁が馬という言葉もあるように人生において禍福とははっきりいってかなり理不尽で唐突でわけがわからないもんです。これを書いてる今でさえも隕石が私の家に落ちてきて私は死んでしまうかもしれません。ようは何がどうなるかわからんのが人生であり、それこそが醍醐味だと私は思うのですが。
それらの事態から回避する事を国に対して求める事はちょっとお門違いなんじゃないの?と私は思うんですけど。もちろん、国家は国家としてできる限りのことをやってほしいという希望はあります。でもたかが知れてるでしょう。自分の身は最低限自分で守るという気概は必要なんじゃないかな。
北海道は開拓時代、街に熊が降りてきてよく熊に住民が殺されたそうです。たった100年前の話ですよ。三毛別羆事件などをご覧になると面白いですね。それから急速に文明が進み、いま街で熊に襲われる人はいません。でも当時は熊に襲われる危険の中で生活していたんです北海道のひとたちは。私には想像できませんよ。じゃあその当時の人達が「熊が出没することは国として予測できたはずだ!」なんて言ったでしょうか。まぁ言えるはずもありませんが。
基本的に国ができることなんて「事後対応」なんです。国家がなにからなにまですべてを保障できるなんてできると思っちゃいけない。言い方を変えれば国を信用するなということですね。というか、それが当たり前だとは思うのですが。
それでも100年前から比べたらどんなに生活が保障されるようになったでしょうか。もちろんその過程ではいろんな公害問題や薬害問題などを経て、多くの犠牲を乗り越えて少しづつ進歩してきた賜だと思います。その犠牲になった皆さんには本当に申し訳ないですが、そういった犠牲の上に今日の社会が成り立っていることは否定できないと思います。
にも関わらず税金は払いたくない。国家に管理されるのも嫌だ。自由でありたい。でも生命は保障してほしい。なんて贅沢すぎると思いませんか。私は少なくとも「そりゃぁちょっと求めすぎぜよ。」と坂本龍馬調に思います。
人生なにが起こるかわかりません。本来であれば常に死と隣接しているという気構えが必要だと思うんです。何が起こるかわからないんだから、当然いつ突然死ぬとも限らない。その生命を誰かに保障してもらおうなんて怠慢ですよ。ジョブズも言ってましたが、「今日もし死ぬとしたら」という思考が現代社会においては完全に欠落しているんじゃないだろうか。
生きること。生活すること。は、誰かに頼ることでも保障してもらうことでもありません。
最低限の危機管理は国家を信頼することでも、求めることでもなく自分自身でするもんだと思いますけどね。
追記
×人生万事 塞翁が馬、ではなく ○ 人間万事 塞翁が馬 が正解です。直しました。
zabuton2様ご指摘ありがとうございました!
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