心と身体と自分
今日、考え事をしていてスゴい事に気がついた。
2011-02-24 03:28:19
入力時間 / 10:09
どうやら心と身体は自分のものではないっぽい。と、書いたところで危ないことを自分で書いてるなと自覚はしている。何が言いたいかというと、心と身体は平時自分の掌握下であるかのように振舞っているが、時として全然言うことをきいてくれない事も多々あるなと。
まぁ自分をどう定義するか、心をどう定義するかによっても異なるとは思うが、私の中での自分の定義は自分の思考であり、心というのは主として感情だと認識している。モヤモヤする感じとかイライラする感じとか、具体的に言葉で表現できない何かしら抽象的な部分と言いましょうか。
どれだけ思考が論理的・合理的にその事象を理解していようとも、心がそれに対して納得しない事ってありませんかね。また同様に身体も自分の意に反することは往々にしてあるだろう。つまりは心も身体も自分(思考)の所有物ではないという事だと私は思ったのね。
なんというか、これはある種の借り物のようなものなんだろうな。
人間は進化の過程で叡智を授かったわけですが、どこかで思考と心と身体の同期が完全に一致しなくなったのではないかなと。あ、これは私だけかもしれませんけどね。必ずしも合理的な結論が本能の根源たる欲求の導く答えと同義では無いことを考えるのであれば必然とも言えるが。
ただ、心と身体と自分がそれぞれ必ずしも同じベクトルを向いている訳ではない事を知ることができたのは大きな収穫だ。それに関して思い悩む必要は無いわけだから。心と身体をうまく使ってやる事が肝要なんだろうなと。「僕が一番ガンダムをうまく使えるんだ」といえるくらいしっかりとうまく使えるようにならないとね。
と、いつにも増してちょっとアレゲなアレですが、私の中では結構な大発見でした。
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