宗教が嫌い
私は神を信じない。そして宗教が嫌いなんだ。
2011-02-14 21:21:00
入力時間 / 22:17
決して宗教に属する者が嫌いってことではないです(フォロー)。
あと、これは無知で浅はかな和田憲幸個人の私見なのであしからず(フォロー2)。
さて。防衛線も張ったところで宗教が嫌いだって話です。なにゆえ宗教なんぞに入信するのか、私のような馬鹿者には理解に苦しむ点が多い。まぁ宗教と一口に言ってもいろんなのがありますわな。神様を崇め奉るようなものから、予言者やら超能力者のような人を神格化するようなものまで。
私は無神論者だし非科学的な事はあまり考えないから宗教に入る人ってのがどんな人なのかわからんのですよ。ましてやそんな宗教が元で犯罪やら戦争やらテロやらが起こるなんて想像もできません。
当然のように死後の世界なんてあるはず無いと思っているし、神様なんていないでしょう。自分自身が知りえない事を信じたり、それに傾倒する意味が私にはわからないんです。
自分の目に映るものがすべてではないけれど、基本的に自分の目に映るものが全てでしょ実際の所。死後の世界だとか神様を信じるなんてどんだけロマンチストなんだよって感じですよね。そんな都合のいいものが存在するのであれば、世の中もっとマシになってると思うんだけれど。
なんで人は何かしらの拠り所を求めるんだろうか。自分自身じゃ駄目なのか。自分がしっかりしてれば神様だって宗教だっていらないじゃないか。と、私は思うのだ。もちろん宗教によって考え方は大きく異なるから「宗教」を一緒くたにするのは少し乱暴かもしれないけれど。
でも「教えに沿う」という大きな考え方自体はどの宗教もさして違いはないだろう。なぜ教えを乞う必要があるのか。自分が見聞したものを自分なりの思考で体現すれば良いじゃないか。何かを信じたり、何かに依るという行為はその意志と責任を自分自身で放棄しているように私は感じるんだ。だから好きじゃない。
自分がこうして生きている事も、幸福を享受している事も、すべては両親が産んでくれたおかげだし、両親はそのまた両親が産んでくれたおかげだし、それらを取り巻く多くの人達や偶然だったり、努力だったり、そんないろんな要素によってもたらされたものじゃないですか。奇跡だとか神様だとかが介在する余地なんてありはしませんよ。
自分に依れて、自分を信じられるってのが一番だと思うんだけどな。
まぁ宗教を信じることができるってのは、ある意味では幸せな事なのかもしれないけれどね。
P.765