和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(44歳)のブログです。

宝石の意味がわからん

宝石商の人がいたら本当にすいません。私には宝石の意味がわからない。

2011-01-27 23:53:40
入力時間 / 10:40

大富豪(トランプの)和田クラスが持っている何カラットかわからない程のダイヤモンド(もどき)

和田クラスの大富豪になると高価なダイヤモンドを買うことすら造作も無いことではあるが、残念ながら私は宝石をありがたがる意味がまったくわからない。工業製品をつくる上での必要素材としてということであれば納得いくんだけどね。最後にかっこいい事を言うので乞うご期待。

宝石を買う。大枚はたいて買う。そしてそれを身につける。それの何が楽しいのか。なにがうれしいのか私には残念ながらわからんのだよ。首からジャラジャラなんかいろんなもんぶら下げてたり、指という指にリングを付けてるような人を見ると目がチカチカする。何を主張したいんだおまえは、と。

ブランド品なんかもそうだけど、やはり最たる例は宝石だろう。虚飾と言うほかない。それを身につけたところでおまえの価値は1円も上がらんよ。と思うのだがどうだろうか。

もちろんこれは古くからの風習というか習慣というか、そういう悪しきしきたりのようなものなのだろう。地位や名誉を得た人間は着飾るというある種、原始的な欲求なのかもしれない。自分の力を、存在を誇示するという。でももう時代にマッチしてないと思うんだよな。

純真無垢な私からみれば上記写真のような100円ショップに売っているガラス細工も高価なダイヤモンドもさして違いは無いように見える。私ってほらピュアだから。でも社会がその物質に価値を付加して、それを受け入れる人間がいるからきっと宝石は売れるんだろう。うちの母も買ってたな・・・。

価値の基準を付けるのは確かに社会かもしれない。それは歴史的背景や様々な思惑からいろいろな物に都合の良いカタチで価値をペタペタ付けていく。でもそういった本質を蔑ろにした愚行は21世紀っぽくない。というか馬鹿馬鹿しい。自分が見たものを見たまま感じる。それでいいじゃないか。ガラス細工で結構。きれいだよ十分。きれいなものを欲するのであれば必ずしも高価である必要はまるで無い。

人は高いお金をだして求めるまでもなく、生まれながらに宝石を持っている。
「美しいものを美しいと言える心という名の宝石をね。」←カッコイイこと言った。

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