貧乏という経験と費用対効果
今現在においてもお世辞にも貧乏を脱却したとは言えないですけどね。
2010-09-25 01:24:40
入力時間 / 15:04
札幌は所得が低い。私も例外なく所得が鬼のように低い時期がありました。「貧乏」と断言できる時代を乗り越えて今、貧乏な時代も悪くなかったなと。貧乏という経験が今の意識に根づいているというお話。
20代の頃は本当にお金無かったなぁ。毎日お昼にカップラーメンしか食べないような生活でした。不思議と身体は壊しませんでしたけど、若かったからなんですかね。貧乏であることに不満も特に無かった。お金が無い事が普通だったし、それが自分の身の丈だと思っていたし。遊びにお金を使うタイプでもなかったから不便も無かったしね。
そんな貧乏な私にとってコンビニ弁当なんて超贅沢品でした。ほっかほか亭の弁当もわりと贅沢品。今では普通にコンビニ弁当食べれるし特別な日じゃなくてもほっかほか亭で弁当買えるよ。ピザだって買える!ってどんんだけ貧乏だったんだ俺はっ!
そんな時代を生きてきたから今でもコンビニ弁当とかほっかほか亭の弁当を普通に食べれる事がとてもうれしいというか感慨深いというか。これはきっと貧乏だった私のアドバンテージですよね。貧乏を経験した事ない人にはきっとわからない感覚だと。
そしてそんな貧乏性の私はいちいちケチくさい。無駄なことにお金はびた一文使いたくないし、お客さんにもびた一文使わせたくない。という感覚わかるかなぁ。安ければいいとは思わない。でも使わなくていいお金は使わなくてもいいと思う。もっと有効に使うべきだから。
費用対効果を考える上でこの貧乏性やケチ臭さは非常に有益な経験だったと思う。貧乏な時代を生きたからこそ得られた代えがたい経験だったと今ではね。限り有る資金をいかに先に繋げるかという視点、大切ですよね。逆に言えば先に繋がらない出費はゼロでいいわけだから。
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貧乏って案外悪く無いから絶対経験しておくべきと。
ちなみに貧乏は嫌いじゃないけど貧乏人は嫌いです。
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