感情による事実の歪曲
感情とは本当に邪魔臭いもんで、時としてそれは事実を歪曲させる。
2010-07-13 05:54:55
入力時間 / 12:45
四六時中、冷静でいられる人間がいたとしたらそれはきっと人間ではないかもしれない。好きだとか、嫌いだとか、そういった陳腐な感情は時として事実や真実を歪めるきっかけになり得るという話なんですが。
報道でも、個人のブログでも、レビューでも口コミでも、感情が入るとその情報の信憑性は極端に低下する。「好き」な事象への評価は当然高くなり、「嫌い」な事象への評価は過度に低くなる。しかし本来、その事象への評価は当然のことながら好きとか嫌いという感情の外側にあるはず。だから人間はメンドクサイ。
人間が動物である以上、感情的になるなとは言えないが、それでも生態系の長として場合によっては感情を抑制する必要はあるのではないか。ニュースでもなんでもそうだが疑問符の付く記事やレビューの大半は感情に依存するものが多い。そういった類の情報は往々にして陳腐で信ぴょう性に欠けるものばかりだ。
感情が事実や真実をねじ曲げるのは何もニュースなどのリソースだけではない。時として企業の経営戦略などにおいても感情とは冷静で客観的な判断を蔑ろにする。「これは絶対売れる!」「この企画はスゴい!」「これやったら絶対儲かる!」といった類の思いつきはほぼ感情により盲目的な状態になっているケースが殆んどだろう。感情によって視野が狭窄している状態で市場を見通すことなどできようはずもなく失敗は火を見るより明らかである。
事実や真実を見極めるためには感情を捨てなくてはならない。と私は思う。自分が自分であっては自分を見ることはできない。自分の事を冷静に、客観的に見る「自分以外の自分の視点」がやはり必要なのだと。
生き物だから感情を捨てることなど出来るはずもないが、それでも時として感情を極限まで抑える事ができるようになれば、この小さな世界に跋扈する醜い争いも、理に適わぬ誹謗中傷も、あるいは無くす事ができるかもと思いました。
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