過去の自分は恥ずかしい
何を以て恥とするかは千差万別だと思いますが過去の自分は兎角恥ずかしいものです。
2010-06-11 04:37:31
入力時間 / 13:25
若い頃の自分や過去の作品などは兎にも角にも恥ずかしいもんです。今以上に痛々しくそれを臆面も無く晒していたかと思うと耳まで真っ赤になってしまいますよね。ちょうど1年前の誕生日のエントリを見ていて「あ、コイツさては恥ずかしいな」と思いました。もちろん今の自分も恥ずかしいわけですけど。
きっと誰もが過去の自分、若い頃の自分を恥ずかしく思うようにできてるんじゃないかな。青臭く、無知で、未成熟な過去の自分をみんなが恥ずかしいと思うのならばそれは恥じるに値する事でも無い気もする。何よりも過去の自分を恥じることができるということは現在の自分の方がきっと成長している証だから。
そう考えると「恥ずかしい」という動機によって自らの表現を抑制する道理なんてどこにも無いという結論に達する。未来を迎えればどっちにしろ恥ずかしいわけだし、今それを恥ずかしがっていてもいなくてもそれ自体は変わらないということで。
だから「恥ずかしい」なんて考えなくてもいいと私は思っている。どうせ未来の自分が今の私を見たら物凄く恥ずかしいんだろう。このエントリだって「うわっ、何言ってんだ過去の自分」と思うに違いない。それでも綴るさ。
未来の自分が過去の自分を恥ずかしいと思えることもきっと悦びのひとつだからね。
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