突き抜けた自己愛と制作
自己愛も突き抜ければいいんじゃないかなと思うこと。
2010-04-21 12:15:35
入力時間 / 19:12
私は自分が好きだ・・・好きだっ!好きだあああぁぁぁっ!!!
のっけから取り乱してみました。自己愛も過ぎれば転化するんじゃないかなという話なんですが。浅い自己愛では自分のみを大切にしますが、深い自己愛だと他者を大切する事になるんじゃないかなと。
自身を大切にするということは他者を大切にすると同義なのではないかなと。短絡的な人間の事はわかりませんが、自身を尊敬できるくらい愛していればリスクは回避して当然ですよね。浅い見解ではなくより深く自身を愛すると言う事は自分が素敵であろうとする事とイコールになると私は思うんですね。
真から自分を大事に思っているならば、その自分を取り巻く環境への感謝を禁じ得ない。なぜなら自分は周囲の環境によって形成された賜だから。自分を形成してくれる周囲を大切にしなければ自身そのもののを無碍に扱っているのと同じことなんじゃないかなと。
自分が大好きな私は理想の自分を思い描いたりします。理想の自分は優しく、仕事ができて、ユーモラスで、フェアで腹黒い。そういう自分を体現するためには本当の意味で自分を大切にするべきなんだなといつも思います。
情けは人の為ならず。という言葉がありますが情けをかけるのは他人のためではなく自分の為にかけるもの。深いですよね諺って。自分が自分として生きていく以上、自分の思考や行動のすべては最終的に自身に帰結します。であれば自身を愛する事は必然的に他者を尊敬し愛することなのかなと思っています。
例えば制作にしても同様で。クライアントのために頑張る事は結果的に自分の為に頑張るのと同じなんですよね。それは必ず表裏一体で。だから正味な話、私はクライアントのための制作をしていない。自分のために制作をしている。クライアントを、ひいてはクライアントのクライアントを満足させるに足る制作をする事が私にとっての究極の自己愛だから。
な~んちゃって。
P.551