思考と幸福
思いを巡らせ考える事。それはそれ自体が幸福と言えるのではないか。という話。
2010-04-14 00:46:42
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何かを考える事が私は好きでして、あれこれいろいろ考える。考えている時、私はとても幸せだ。特に考える事が意味を持つわけでも、結果を生むわけでもないが、考えること自体がなぜか幸せなのだ。
考えることができる。というのは余裕やゆとりがあることと同義なのではないかと思う。忙殺されている時、人は思考を止めるから。考えるゆとりが無い状態。考えるゆとりが無い状態を考察することができない状態。それは決して幸せな状態とは言えないのではないだろうか。
「人間は考える葦である」という有名な言葉がある通り人は「考える」ことで食物連鎖の頂点に立った。であればやはり人間は考える事を止めてはいけないですよね。どんな時でも常に思考を巡らせ、たとえそれが無意味であったとしてもやっぱり思い悩み、考えるからこそ人間だと思うしそれが人間の幸福だと思う。
当然のことながら考えたからといっていつも回答が用意されているわけではない。時には回答のない問題にぶつかることもあるだろう。それでも、そういったことに時間を費やせるというのは幸福以外のなにものでもない。
人間は考える事を放棄したとき人間では無くなる。自らの意志をもって考えながら生きることは思いのほか面倒だし大変なことだけど、それでもやっぱり考えることができる自分は幸福なのだなと思うわけです。
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