和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(44歳)のブログです。

痛い人

はい。私のことです。生まれてこのかたイタかった事しかありません。それが何か。

2010-03-23 06:02:10
入力時間 / 13:45

自分でも最近になってようやく自分は痛い人間なんだなと思い始めました。遅っ!というツッコミはさておき、小さい頃からうっすら感づいてはいたんですよ。なんか他の人と違うなと。違うなっていうか浮いてるなと。浮いてるなっていうか嫌われてるのかな?って。へへ・・・。気づいてたんだよ・・・。

感じ方や指向性がなんか人と違うと思ってた。なるだけ周囲に合わせようと思ったけどできなかった。なんでなんだべかな。なんか浮くというか、人の中に入れない感覚って皆さんはわかるかしら。なんか距離があるっつーか。自分の頭がオカシイって事をしっかりと理解できたのは10代も後半の頃だった気がします。

友達や恋人と一緒にいても違和感を感じる。自分は周囲の人間に何も共感できない。そして自分の発言や行動は周囲から見れば頭がオカシイ人間のように映っているという事実。実際にキチガイって言われた事もあるしね。それこそ若い頃はそれがコンプレックスだったし、傷ついた事もあった。親にもキチガイと言われた事もあったなぁ。あの野郎っ!

いまもUSTREAMで自分が作業してる様を見てますが、どう見ても薬やってる人間にしか見えん。というか気持ちが悪い。これが自分じゃなかったら物凄い嫌悪感を抱くんだろうなぁ・・・。あぁ自分でよかった。この気持ち悪いのが自分でヨカッタ!

そんな痛くて気持ちが悪い私ですが、痛さは短所では無いなと最近思うのです。「痛い」ってのは個性であり私の長所なんだなと。社会から見たとき、私はたしかに痛い人間だと思う。でもその痛さすらも長所になりえるんじゃないかなと。その痛さを消してまで社会に同調する必要は無いんじゃないかなと。だって、あたし痛くなかったらすごい面白くない人間だと思いますもの。痛くてナンボ!痛くてナンボ!痛くてナンボのコーヒー豆ですよねリベ武風に言うなら。

痛いだとかDQNだとかなんだとか。そう評される事に誇りを持ってもいいんじゃないかな(ケースにもよるでしょうが)。
予期せずそういう痛い人間になっていた私ですが、そんな痛い自分が大好きですよ。

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