和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(45歳)のブログです。

恩恵

ひとりで生きてるつもりでも多くの恩恵を周囲から受けているわけですが。

2010-03-15 18:51:01
入力時間 / 22:45

私が真にひとりで生きていたらとっくの昔に死んでるだろう。今の自分があるのは周囲の環境や皆様の恩恵を一身に受けたからに他ならない。ましてやWebの世界で生きてることなんて偶然が1000回以上積み重なって成り得た奇跡だ。ほんと自分でもよくプログラム書けるなと思う事がままある。

多くのきっかけを周囲から頂いて今の自分がある。Webの世界に入るキッカケは電気屋さんで働いていた時に先輩に言われた何気ない一言「のんちき(和田)Webに向いてんじゃね?」。今でもしっかり覚えてますよ。この会社に勤めずあの先輩に出会わなければWebの世界に足を踏み入れることは無かっただろう。

電気屋さんを辞めて無職の時に別な先輩のお知り合いからCGIの開発依頼を請けた。今思うと物凄く簡単な画像アップロード機能付の掲示板を作るという仕事だったのですが、あの仕事を紹介されなければ私がPerlを使えるようにはならなかっただろう。

Web系の会社に就職しようと受けた面接先で偶然にも電気屋の取引先の営業担当の元同僚の方が面接官だった。実務実績も何もない私をよく採用してくれたなと今でも思う。会社が倒産するまでのたった半年だったけど、そこでWebのことや営業のこと、クレーム対応など多くのことを学ばせてもらった。この会社に勤めなかったら営業力は身につかなかっただろう。

そしてまた無職へ。半年ほどフリーで仕事を請けていたのですが、その当時も和田憲幸生放送をやっていて、それを見た札幌のWeb制作会社から仕事の相談を請けました(朝方3時頃に)。その制作会社さんとは今でも付き合いがあり、いろいろとお世話になっています。無茶な要件と納期でいつも私を振り回してくれるこの会社と出会わなければ、技術や知識に幅は生まれなかっただろう。

そしてまた就職。5社ほど受けてすべて内定を頂いたわけですが、よそへ行こうとしていた私を強引に引っ張ってくれたのは電気屋時代に広告を出していた広告代理店の下請会社だった。世間は本当に狭いなぁと思った。デザインや印刷に関する基礎的なこと、そして空いてる時間で知識を肥やしプログラムも勉強できた。この会社に入社しなければデザインについて知ることも無かったし、プログラムを書けるようにはならなかっただろう。

さらに転職。次はWeb制作とプログラムの会社。プログラマとして雇われ、Web制作や提案資料の作成、プロジェクトマネージメントなどを自由にやらせてもらった。ゴルフもこの会社で教えてもらった。この会社に勤めなければゴルフをやることも無かっただろうし、スケジュール管理やマネージメント、営業や提案に関する事を覚える事はできなかっただろう。

そして今は無職。多くの人たちから仕事の依頼や相談を受け、励ましのコメントをいただいている。

どれかひとつでも欠けたなら今の私には成り得なかったし、どれひとつとっても自分自身の能力では無いことに気付かされるわけです。人は知らず知らずのうちに膨大な恩恵を周囲からいただいている。私は周囲の恵まれた環境と素晴らしい人達のおかげでいまのうのうと無職を謳歌する事ができるわけです。

だから私は受けた恩を社会に返せるだけ返せればと思っている。

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