学歴の意味
学歴って何気に大切ですよね。あ、あたしは学歴無いんですけど。
2010-01-04 14:58:37
入力時間 / 15:38
私は勉強をした事が無い。一夜漬けはある。でも小学校、中学校では自宅で勉強を一切しなかったな。あ、学校でも寝てたのでしてませんでしたが・・・。今ではちょっぴり勉強しておけばよかったなと思っている。勉強や学歴には奥の深い意味と価値があるからだ。
私は英検5級に落ちるほどの能力を持っている。数学、国語から美術まで体育以外の教科はほとんど2か3(10段階評価で)。前も書いたことありますが、高校の入試は口頭試問と言うほぼ面接だけで受かる高校だった。それもそのはず札幌から90km離れた村立の農業高校だったからである。簡潔に言うならば私は非常に馬鹿です。物凄い落ちこぼれです。そんな人間がプログラムを書いてるのだから人生とはおもしろいもんである。
前述の通り勉強はまったくしなかった。だから現在でも三角関数とかわからないしルートもよくわからない。英語もてんでからっきしで文法など中学校で習う基礎すらまったくわからないのである。何度か英語を勉強しようとトライしてみたが異世界の言語は私には到底理解できなかった。だからすぐ挫折した。そもそも自身が欲しない事象を求めることができない。それは矯正の利かない致命的な欠陥。
小学校、中学校、高校と私は勉強がそもそも好きでは無かった。いやもっと言うなら嫌いだった。こんなことを学んでいったい何の役に立つのかと。俺は日本人なんだから英語はつかわねぇぞと。そう思っていたから勉強など自主的にしようはずもなかった。そのことに関して特段後悔はしていない。私が欲しかったのは決して学歴という形骸では無かったためだ。
しかし齢を重ねるごとに感じることは学歴という存在の重み。ようは誰だって勉強なんぞしたかない。でもそれらを「学ぶ姿勢」こそ最も評価に値する要素。私にはその要素が欠落している。それは非常に残念なことだ。自身が欲すること、興味のあること以外に情熱を費やせない。これは社会人として致命的な欠陥だ。
高名な高校や大学を卒業した人たちは少なくともそれらの壁を乗り越えてきたわけだ。それは尊敬に値する。十分な価値なのである。そう考えれば学歴は人としての価値を測る定規としての役割は十分果たすのでは無いだろうか。嫌いなこと、苦手なことへ取り組む姿勢とはそれほどまでに尊く重い。
また高学歴の人間は当然、そういった壁を乗り越えてきた人たちが周囲に多く存在する事になる。社会人になればわかることだが、人脈とはまさに一生の財産。努力を重ねた人間たちが集う場所が高名な高校や大学なのだろうなぁ。学士さんたちはスゴイなと30歳にもなって思うわけです。
それよりももっとすごいのはこういう事を中学、高校の頃から見据えているという事。見据えてるからいい高校、いい大学に入ろうとするわけですものね。私が中学生の頃はそんなこと考えた事も無かった。学士さんはほんとスゲェなぁ。
まぁ今から人生やり直したとしても私は勉強しないと思いますが。
でも学歴ってやっぱり大切だなとこの歳になると思いますね。
小さい子はこんなブログ見てないと思いますが、中学生・高校生の方が見ていたら人生の近道を行くと思ってぜひ高名な高校や大学を狙ってみてください。
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