和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(45歳)のブログです。

すぐ謝る。すぐ認める。

みんなすぐ謝ればいいのにと思う。

2009-12-27 02:27:57
入力時間 / 19:37

謝りたくない人って多いですよね。私は必要が無くてもとりあえず謝ります。決して卑屈なわけじゃないんです。少なくとも自分の心持の中では。謝ることの効用はいろいろ多くありまして。デメリットは限りなく微少です。

すぐ謝ることの効用。それは相手を冷静に、そして自分も冷静にする事ができるという事。例えば相手が怒っている場合、四の五の言わずにすぐ謝る。例え相手が悪くても。自分が悪くなくても。相互理解を促す上で、感情とは非常に邪魔臭いものです。男女間の問題を例にすればわかりやすいと思いますが、対外のいざこざはほんとに些末な事がきっかけです。しかし、感情がそこに乗っかってしまうと何はともあれ面倒なんですよね。

しかしどうでしょう。すぐペコッと誠意をもって謝ればアラ不思議!お互いが冷静になれるわけです。誰が悪いとか責任の所在などハッキリ言ってどうでもいいんですよね。まずは双方が冷静かつ客観的にその事象について論議できる状態を作る。問題を解決する上ではその下準備が非常に大切です。だから「俺は悪くないから謝らない!」というのは問題を悪化させるだけで、決して大人の対応ではありません。

次に誠意をもって(例え自分が悪くなくても)謝る事で、相手も謝りやすくなるということ。意地の張り合いで得するヤツは誰も居ません。相手が折れない相手であれば、こっちがとことん折れてやればいいんです。そういう人に限って誠意を持って謝れば「いや、こっちも悪かったよ」となるもんです。相手の心理状態を考慮しこちらが折れる必要もあるわけです。

しかし世の中にはこの「謝る」「認める」ができない方が多いこと多いこと。それらができないばかりに建設的にその事象へ論議できないばかりか、微細な亀裂が大きな溝へ発展するケースも少なくないでしょう。歳をとればとるほどに頭が硬く、プライドは高く。どうしようもない人間になっていくんですねぇ。

もっと合理的に考えればいい話なんですけどね。意地を張り合って議論が平行するなら時間の浪費だという事に気付くべきです。そしてその意地を張ったところで守られるものがクソみたいなもんだと気付くべきですよね。

かく言う私も些末なことで意地を張ったりしますが、歳をとるにつれて段々メンドクサクなってきました。議論するのもメンドクサイから「とりあえず謝っとけ!」という感じでしょうか。感情的な相手と話すのはとても疲れます。頭を垂れてお互いが冷静に話をできるなら安いものですからね。

ということで「すぐ謝る」「すぐ認める」はぜひお試し下さい。和田式処世術でした。

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