無駄の排除と究極
無駄の一切を排除したものがデザイン(設計)という言葉がありますよね。
2009-12-21 18:39:58
入力時間 / 08:00
それは何もインターフェースだけの話ではないのですが、無駄をすべて省くことは究極への第一歩だと。例えば地上で最も速く走る事ができるチーター(水前寺清子ではない)。高速で逃げる獲物を狩るために進化したチーターはなんと時速120kmで走る事ができる!チーターは「走る」という1点においては究極と言っていいほど美しい。上記の動画ではチーターが走るところを見ることができますが「高速で走る」という目的のため動きに一切の無駄がありません。とても美しい。
インターフェース設計においても
ついついゴチャゴチャさせてしまいますよね。でもその実、無駄が多くあるわけです。もちろんそれはアプリケーションなども同様で要素を詰め込めば詰め込むほど、目的への導線は希薄になり「究極」とは程遠い機能過多で使いづらいものに往々にしてなるものです。
経営においても
経営においても「商品価値に繋がらない無駄の一切を排除すること」は利益率と品質を向上させる上で最も大切な要素です。これはTOYOTAの経営理念にも掲げられている事ですよね。机上の空論ですが、利益に繋がらない事を一切しなければ人員も減らせるし、回転率・稼働率は限りなく100%に近づける事ができるというのは間違いありません。より本質的ということですよね。
このように設計でも経営でも必ず「究極」を目指すということは「=無駄の一切を排除する」と言えるのではないでしょうか。そして生まれたからには究極を目指さざるを得ません。この地球上の動物たちが生きるために究極を目指したが故にいまの形態へ進化したように、我々人間も生きるということは究極を目指して進化するための道を模索することと言い換える事ができます。
究極を求めること、無駄の一切を排除することは即ち明確な目的・指標となります。私も地上最速の動物チーターのように、このWebというサバンナをメッチャ速く駆け抜けるための足があったらいいなぁと思いますねぇ。
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