曜日感覚
無職を1年もやってるとだんだんと曜日感覚や日付の感覚が怪しくなってきます。
2009-11-26 06:30:10
入力時間 / 11:43
曜日感覚はもうありません。祝日とかわかりません。お客さんに「その日は祝日なんで当社はお休みなんですよ」と言われるまで祝日の存在に気付くことができない・・・。在職中はあんなに楽しみだった祝日が・・・。
私の場合はテレビを見ていないせいもあるのですが、日付や曜日、時間の感覚がほとんどない。いまこうしてブログを書いてる時間も朝の6時なのか夕方の6時なのかパッとわからなかったりするのです。う~ん無職ってコワイ!
でもこうやって1年、時間の感覚が混濁とした中で生きていけるのであれば時間の仕切りってのは別にあっても無くてもいいのかなと思う。社会という枠組みの中で生きている人たちはなぜかわからんがみな忙しそうだ。「忙しい」という感覚は「時間」という定規があってはじめて知覚できるものだ。
心を亡くすと書いて「忙しい」ですものね。忙しいとやっぱり心が荒んでくるもんですよ。私も無職になって物凄くものすご~く温厚になりました。恐ろしいほどの変貌。触るものみな傷つけてた頃が懐かしい。
あと何年も無職を重ねれば自分の年齢すらわからなくなるのかな。でも別にそれはそれでいいですよね。年齢というのも言うなれば一つの定規。でも年齢という定規は人間という値を計るものでは無いから。だから年齢なんて本当は人間としての価値を計る上で不要なものかもしれませんよね。
思えば無職になってわかることは今まで自分を取り巻いていた環境、そして自分の考え方にどれだけ不要なものが多かったかということ。無駄なものに囲まれて息苦しく忙殺されていた自分は、やはり自身が生きていたのではなく、社会という仕組みの中で生かされていただけなのかなと。
社会の外側にいると社会の不合理性が浮き彫りになる。反面、社会の内側にいれば確固たる庇護の下で生きられることがうらめしくも思えたりする。どっちがよい悪いの話ではないが、それでも今後社会はもっと大きく形態を変遷していかねばならないだろう。
10年後、20年後には私のような無職がもっともっと増えているかもしれないですね。
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