テレビなど見ない
随分と前から和田家にはテレビがありませんが。
2009-11-20 21:13:59
入力時間 / 15:39
私も学生の頃は毎日テレビ見ていましたが、気が付くといつの間にやらテレビを見なくなっておりました。というかテレビも無いしね。「最近テレビがつまらない」なんて事をよく耳にしますが、実際テレビってどうなんでしょうかね。
どこかの統計情報でテレビを見る時間の長い人はテレビを見ない人に比べて所得に大きな開きがあるとかやってましたね。どっかの大学の研究ではテレビを見る時間によって幸福を実感している割合が異なるとか。そう。テレビを長時間見る人は低所得で幸福を享受してないと。そういう研究結果もあるようです。
そもそもなぜテレビを見ないか。このブロードバンドのご時世に放送する時間に合わせてテレビを見るというスタイル。古くない?というかなぜ放送時間を決めて放送せねばならんのかわからん。見たいものを見たいときに見る。それが当たり前ではないのかしら。録画したところでキッチリ見るわけでもないしね。見たいときに見る。それが一番いいと思うんだけど。
和田家には買ったけどまだ見ていないDVDが5~10本くらいある。見よう!と思って買ったけど見る時間が無い。いや、見る時間が無いというのは間違いだ。見るゆとりがないと言ったほうがよいかもしれない。つまりそれくらいプライオリティが低いのだ。テレビ番組も同様に。私が見るつったらYouTubeにアップされてるケロロ軍曹とお笑いコントくらいなものかな。あとは昔にキャプったガキの使いとか。
いまもテレビをよく見ている方はぜひ一度、テレビを見ない生活を体験してほしい。たまにテレビを見ると「なんだこれ」って思いますから。なんつーか時間の無駄っつーかなんつーか・・・。視聴率と番組の質が比例しないことでわかる通り、みんなが見てるからといって価値があるとは限らないのだ。
テレビ番組も映画も見る側の事を考えて創られたもの。それは商業的に間違ってはいない。広告主からお金を貰うために制作するのだから、視聴率を気にするのは正解だと思う。しかし、人口に対して馬鹿の割合が高いことを考えれば必然的に映画なりテレビ番組というのは馬鹿をターゲットに創ることになる。馬鹿がわかりやすいようにね。パイの大きいほうに合わせるのは商業の基本。当然といえば当然。
結果、質の悪いものができるという流れはむしろ必然ではないか。映画も興行収入を第一に考えたものはやはり見ていてつまらないものだ。が、それが商売だからしょうがない。そうなると主義・趣向の問題になるので一概には言えないが、質が悪く似たようなものが世に溢れる事になると考えられるわけです。
ということで「テレビ」の仕組み自体がもはやレガシーですよね。例えそれがデジタル放送になろうが基本的に時代遅れのシステムであることに変わりは無い。趣向性の違う不特定多数に画一的にコンテンツを発信しようというロジック自体に無理がある。でもまぁ今の50歳以上のオッサンが死滅しない限りはこの「テレビ」という仕組みは残るんだろうなぁ。
話が紆余曲折しましたがテレビは見ないほうがいいというお話でした。
P.432