和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(44歳)のブログです。

人間関係と言動・行動の制限

持論ですが人間関係を広げるほどに言動と行動は制限されると思う。

2009-10-22 13:28:20
入力時間 / 10:21

「常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」とはアインシュタインの言葉ですが、その偏見のコレクションを形成するのは紛れも無く人間関係やその人間を取り巻く環境です。人間関係を含めた周囲の環境が幾層にもその人間を取り囲むと、周囲の環境に合わせた行動・言動しか取れなくなります。それを恐らくは「順応」と言うのでしょう。

私もこうしてブログを書き始め毒を吐いているわけですが、やはり毒を吐く際に周囲の人間の事が頭をちらつく事があります。当然、お客さんのことだとか知り合いの会社のことだとか。時には昔付き合ってた女のことまで。ようは自分の非難する対象に、私の周囲の人たちが入るか否かを自然とチェックしたりしているわけです。

他人を中傷するのと、知っている人間を中傷するのではやはり意識が大きく異なるもんですね。私はそうは思っても自身の発言の内容を曲げないようにはしていますが。とはいえ、私の置かれている環境は無職で独身。友達も居ないし何かに所属している事も無い。非常に発言はしやすい環境ではありますけどね。

ただ、やはり一般社会に適合している皆さんはさぞや発言・行動に際して汲々としているのでは無いでしょうか。関係を維持するために行動や言動を自制してしまっているのでは無いでしょうか。でも、それは本来あるべき姿とはかけ離れていますよね人間の。

私はできることならば、すべての人間が言いたい事を言えて、とりたい行動をとれる社会が望ましいんじゃないかなと思います。ただ、すべての人間がそれをやってしまうと社会が混沌となるのは明白ですけどね。モラルを持って、また自身の行動・言動に責任を持って自由奔放に生きられたらストレスなんて無くなるんじゃないかなって。

まぁあまりに自由すぎてmixiやらFacebookやらで犯罪を告白してみたり、上司やお客さんの悪口を書いてクビになったり退学になったり。それは自由とはまた違う話なので置いておきましょう。

周囲の価値観を気にせずに生きる。ということが自由なんじゃないかなと思った秋の日でございました。

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