和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(45歳)のブログです。

しじみの味噌汁物語

先日、しじみの味噌汁を作ったときに思った事をさらりとね。

2009-08-11 05:21:14
入力時間 / 22:02

しじみの味噌汁

私は味噌汁の中でもしじみの味噌汁が一番好き。すごい美味しいですよねしじみの味噌汁。かに汁やえび汁もいいけど、しじみの味噌汁の前では霞んでしまう。それくらいしじみの味噌汁が好きだ!で、スーパーアークスでしじみを買って、しじみの味噌汁を作ったときの話。

しじみの砂出しをしようと、まあ砂出ししますよね。鍋の中にしじみを入れて、しじみの頭がちょっと出るくらいまで水を入れます。んでもってちょっぴり塩を入れて、鍋に蓋をするわけです。なぜ蓋をするかと言うとしじみは暗い場所でしか砂を出してくれないから。明るい場所では活動しないんですよね貝って。

翌朝、蓋を開けるとしじみが一斉に貝の中にササッと入っていくわけです。砂出しOK。そして煮えたぎる鍋の中にしじみを入れようとしたその刹那、すごい罪悪感が私の胸をよぎったわけです。

生きてる貝を煮え湯に放り込む・・・

そう。生きてる。しじみも生きているのだ。今さっき蓋を開けたとき、ササッと貝の中に隠れたちょっぴり内気なしじみたち。そのしじみたちを今まさに私は煮え湯の中に放り込もうとしている。何十ものしじみの命をいままさに奪おうとしている。自分の食欲を満たすためだけに。そんな理不尽な行為が許されるものだろうか。

私はためらいなく煮え湯にしじみを放り込みました。うん。だってしじみ食べたいし。貝だから断末魔の叫びも聞こえないしね。でも、残酷だなとちょっと思った。仮に自分がしじみの立場だったら・・・と思うとゾワッとした。

和田がシジミだったら物語

アホみたいに生活していた和田が、ある日捕獲され、スーパーで売られるわけです。パックに入れられて。そして食べやすいように身体を洗えと強要され、しまいには煮え湯の中に生きたまま放り込まれる。実際にそういう出来事があったらすげー怖い。ちょっとしたホラーです。

豚でも鳥でも牛でも。殺されるために生まれてくる生物もこの世の中には多くいる。殺され食べられるためだけに生まれてくる。かたや人間はどうだろう。すこしでも長く生きるために八方手を尽くす。そして人が死んだら悲しみ、ペットが死んでも泣き、悲しむ。同じ生命なのにね。馬鹿馬鹿しいお話です。

生命は平等ではない。その事に間違いは無いだろう。食べられるために生まれてくる命があるんだ。感情も持たず、ただ食べられるために殺される生命。あぁなんと悲しい生命なんだろう。まぁそれが食物連鎖であり生態系というものなのだ。それを考えれば人間はこんなにも生きる事が保証されている。怠慢にもなるだろうし堕落もするわ。生きる事に必死になれようはずがない。

ということでしじみの味噌汁を美味しく頂きました。人間は残酷だ。たったひとりの人間が生きるために何千何万何億の命を糧にしている。残酷だ。でもそれが真実だ。それを正当化することは許されない。だからと言ってベジタリアンになるなど馬鹿げた話だ。どんどん殺して食らえばいい。それが自然の摂理なんだから。それでいい。

でも、人間だけが生きる事において特別であるとは考えない事だ。しじみのようにある日突然捕獲され殺されるかもしれない。人間だって明日を今日と同じように生きられる保証なんて本当は無いんだ。だから生きる事に保証を求めてはいけない。それこそが自分の生命を輝かせる最も単純な方法なのだから。

私の糧となったしじみたちに謝罪はしない。でも感謝しよう。しじみたちよありがとう、と。

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