余白とゆとり
私はギリギリゆとり教育世代ではないですがゆとりは大切です。もちろん心の。
2009-08-07 04:00:23
入力時間 / 16:09
あえてCSSで言うならmargin。マージンですね。DTP用語でもあります。また、転じて手数料の事をさす場合もありますがそれは置いておきましょう。心だけの問題ではなくデザインやプログラム、Webなどでもマージン、つまり余白・ゆとりは非常に大切なものです。これは先輩からの受け売りですが「余白はしっかり取る。ピクセル単位でこだわる。」というのを今でも忠実に守っています。デザインにおける余白の有用性は上の画像を見ていただければわかると思いますが、段違いで見易さが違います。もちろん意図的に余白を無くす手法ってのもありますけどね。
同様に私は生活や精神においても余白・ゆとりは非常に大切な要素だと考えています。心を亡くすと書いて忙しいという文字になるとかならないとか。忙殺されてしまっては肝心の心がどこかに消えてしまうようで。人間の心はあまりに不完全なため、その状況・状態において内面は著しく変化するものです。ゆとりとは自身の内面を保つための緩衝材のような役割を担ってくれるものだと私は思います。
私も若い頃は必死でした。「先っぽだけでいいから入れさせて」と何度懇願したかわかりません。必死です。当人にはわからないものですが、当時の私は驚くほど卑しく見えていたことでしょう。必死であったり、一生懸命であったり、何かに対して過度に傾倒すると周囲が見えなくなる事がままありますよね。それはきっとゆとりが無いからではないでしょうか。
心に余白をつくるためには自分の心の全容が見えていなくてはなりません。それはデザインやプログラムに置いても同じ事が言えます。要素・オブジェクトを見ていてはその全体は見えないのです。プロジェクト全体・設計全体を見渡す事ができてはじめて、そこに余白を配置する事ができるわけです。そう。余白とは自然とあるものではなく、意図的に配置し作るものなんですよね。プロジェクトマネージメントをしてる人ならこの辺の難しさがわかるのではないでしょうか。
つまり自身の心に余白を作るためには自分のキャパシティ(積載量)をしっかりと知る事が肝要です。ソクラテス的に言うと「無知の知」であり、孫子的に言うのであれば「敵を知り己れを知らば、百戦して危うからず」という感じでしょうかね。そう。すべては自身を、そしてその置かれている状況であったり、自身を取り巻く環境を知る事こそが最も大切で最も難しい事と言えるでしょう。
なにせどんな時でも心にゆとりを持つという事は大切です。どれだけ必死に頑張っていようとも、どれだけ一生懸命に打ち込んでいようとも、その状態がいっぱいいっぱいであれば決して良い事はありません。方向性も見失ってしまいますからね。仕事においても私生活においても忙殺される事無く、常に心にゆとりを持てるようありたいものですね。
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