和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(45歳)のブログです。

愛とか恋について

みなさん恋してますか。和田はもちろん恋なんてしてませんが。

2009-05-19 07:51:59
入力時間 / 22:02

題:ホモセクシャル和田憲幸

そもそも恋ってなんでしょうねぇ。Yahoo辞書の大辞泉には特定の異性に強くひかれること。また、切ないまでに深く思いを寄せること。恋愛。と書いてありますが、私も若い頃はそういう事もありました。自分をよく知らず、そして人間をよく理解していない時に。

一目惚れだとか恋愛だとかは昨今では科学的にその事象の理由が少しずつではありますが明らかになってきていますよね。種の交配を行う上で、より生物として短所を補完し、長所を伸ばせるようにフェロモン的なもので本能的に異性に対して感受する能力が人間にはあるようです。人間ってホント素晴らしいですね。よくできてるなと思います。

しかしながら、人間のこの交配に関するアンテナは精度があまりよくありません。吊り橋効果やストックホルム症候群という言葉を聞いたことはないでしょうか。簡単に説明すると他の要因からもたらされる生理的不安や緊張感を「恋愛によるドキドキ」と誤認識してしまうというものです。

それらからもわかる通り、いわゆる恋だ愛だというものは人間が作り出した幻想の産物でしかないと言うこと。歌謡曲やテレビドラマなんかでは愛だの恋だのって。ロマンチストの戯言でしかないと和田は思うわけです。ホントひねくれ者ですいません。愛だの恋だのを神聖化してそれを助長するのは善し悪しではないか。

その類の感情はとどのつまり「セックスしたい」に尽きるでしょ。それを足りない頭で愛だ恋だ考えるから怨恨が生まれたりなだかようわからん難しい方向に話が進むのではないか。もっと人間としての、生命としての根源を踏まえた上で論じるべきではないのか。

犬とか猫をに目を向けよう。すごい一生懸命に腰振ってるじゃない。人間だってベッドの上ではあんなもんでしょ。それを神聖化するのはある種の宗教と同じで、誤魔化しているだけだと私は思う。人間だって基本的には畜生と変わらないと認識せねばならない。その上で人間としての考えを論じるのが妥当だろう。

こういった人間の切ない感情や寂しい感情、相手を求める感情の起源がどこにあるかもわからずに、相手を求める事は闇の中を灯りも持たずに彷徨うのと同じ事だ。だから一時の感情で動くことは論理的とは言えない。結婚を急いでもいけない。「婚活」というのが巷では流行っているようだが、そこまで必死に結婚したいのか。なぜそこまで結婚したいと考えるのか。

多くの場合は寂しいからとか、周囲の人間が結婚しているからという薄っぺらい理由だろうが、そもそも孤独じゃダメなのか。周りが結婚してたら結婚しなきゃダメなのか。もっと自立した尊厳ある一個の人間として根本から考えなきゃいけない問題じゃないのか。結婚観についてはすごい長く書きたい事があるのでまたの機会にしますが。

ともあれ何が言いたいかっつーとテレビでも映画でも歌謡曲でも恋だ愛だってのが多いのに胸焼けがしているのでちょっとそういうひねくれた事を言ってみたかっただけです。はい。すいません。
※注記:和田はホモではありません。あしからず。

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