世の中、カネや学歴だけじゃねぇ!
と、言いますがやっぱり世の中はカネや学歴だと思います。
2008-12-10 01:08:05
入力時間 / 17:16
私も若い頃「学歴なんていらねぇ!」とか「世の中、カネだけじゃねぇ!」とか「容姿じゃなくて中身だろっ!」とか青臭いこと考えてましたが、やっぱり世の中は金であり学歴なんですよね。堀江さんも言ってましたが「世界で唯一、カネだけが無色透明で、フェアな基準ではないか」と言ってましたが、まさにその通り。カネを得るためには努力が必要で、その努力を積み上げた結果がカネなわけですから、当然カネが人間のバロメータになるのは至極当然と言える訳です。
なぜ学歴が必要か
私は非常に馬鹿だったため、中学・高校とほとんど勉強をしないでスーファミやプレステに明け暮れる毎日を送っておりました。しかし、学歴の高い人はそういう時期、つまり遊びたい時期にもコツコツと勉強・努力を積み重ねてきた訳です。どちらが社会的信用を得られるかは明白ですよね?遊びたい時期に「将来を見据えて努力を積み重ねる」というその行為自体が評価されるべきであり「学歴」という結果が必要なわけではなのです。ただし、その過程・プロセスを見ることはできない故に「学歴」というその過程を表層する結果を重視せざるを得ないとい事ですね。
なぜ容姿が必要か
女性を見ているとその容姿に掛ける時間に脱帽しますよね。化粧するのにどれだけ時間を費やしているのか。服を選ぶのになぜそんなに時間を費やすのか。男にはわからない世界です。でも、時間を費やすということはそれだけ真摯に考えていること。それもひとえに積み重ねなんですよね。「自分のポテンシャルを最大限に発揮する努力」が化粧だったり服装だったりダイエットなんでしょう。そういった自分のプレゼンテーションのような部分に力を入れていると言うことはやはり、評価されて然るべきなのではないでしょうか。もちろん中身が無い人間は論外ですが、容姿はソフトウェア開発で言うところのインターフェース部分。そのスキンを美麗に彩るAppleのようなものですよね。先天的に変えられない部分は多々ありますが、世の中で評価される上で必要な部分はほぼ後天的要素のみです。その容姿を改善しようという努力・姿勢はやはり評価されるべきです。
カネだけが無色透明で、フェアな基準
上記を踏まえて、学歴にも容姿にも干渉しない、本当に純粋な評価される数値がやはりカネだと。もちろん生まれてきた家系にもよりますが、それでもそれは天運。人生には運も必要です。そして何よりもカネは努力により容易に積み上げることが可能です。えてして社会では「金持ち=強欲」だったり、過多な財産がネガティブなイメージになりがちですが、それだけのカネを積み上げている努力を評価するべきです。堀江さんの奔放な発言の裏にも、堀江さんの血のにじむような努力の結果であり表層であるわけですから、そこをないがしろにするのはどうかと。500億稼ぐには日本の平均的サラリーマンの160倍以上の努力であり感性を積み上げてきているわけですから。テレビや新聞などの報道を見ているとそういう部分にはスポットを当てず、あくまで「非合法にカネを得た」的な報道しかしませんよね。日本だけじゃなく世界的にも報道が「社会的弱者を満足させるために強者をくじく」という方向性にあるようで、それは人間としてとても残念な事だと思います。
私もやはりカネがほしい。カネがあれば時間が買えるし、道具もそろうし。死ぬほど開発に従事できると思うとやはりカネは魅力的です。ただ、カネを得ることによって失うことがあるのも確かなわけで、問題はそのバランス感覚なんだろうなと強く感じています。
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