和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(44歳)のブログです。

やりたいこと、できること

生まれ持った才能は無いと私は考えている。ゆえに先天的に能力に恵まれる事などありはしない。

2008-11-08 14:22:34
入力時間 / 13:59

と、私は考えているのですが皆様はどうお考えだろうか。
私は技術職ゆえ、よく周囲より「デザインの才能無いから」「プログラム書く才能無い」などという戯言を耳にする。

じゃなにか。私は生まれたときからデザインを起こせて、プログラムも書けたのか。
日々の研鑽の賜物だろう!努力の産物が技術であり知識だ。それを先天的なものと考えるのはどうか。

身長だったり容姿ならまだ生まれ持ったものだというのはわかるが、こと脳内で完結できるものに関して才能なんて断じてない。必ず努力すれば報われるはずだ。というかそう信じている。というかそう信じたい。自分が積み重ねているものが未来に繋がっていると信じたい。信じたいし、信じているから今頑張れる。

もちろん幼少時の環境は恐らく後の人生に多大なる影響を与えることは頷ける。
小さい頃から良いものを見ていれば良いものに対しての目利きは間違いなく育つはずだし、学校での勉強だって侮ることはできない。論理的思考を培う上で数学や物理は必要不可欠と言える。私も学生時代は思っていたが数学や理科が社会に出てなんの役に立つんだと。だが、実際社会に出れば学生時代に培った「情報を得る・応用する」という基礎的な能力が大きく役立っている。

確かに微分積分を社会に出てそのまま使うことは無いかもしれないが、それを習得する過程の部分が最も大切なのだろう。

ただし、社会に出て自分がやりたいことが必ずしも自分ができることとは限らない。紆余曲折の後、「本当に自分がやりたかったこと」に対するスキルではなく別なスキルが高くなれば当然やりたいこととできることに差異が生まれる。自分が「できること」では金を生み出すことができても「やりたいこと」では金を生み出すことができない場合もある。私の場合は残念ながら後者だ。

ゆえに金は捨てた。

社会で生きるということは金がかかるということ。所帯を持てばさらに金がかかるだろう。だから所帯を持つことも無い。ただそれでも自分が「やりたいこと」に沿って生きられるのであればそれは幸せだ。やりたくもない「できること」をやって生きていくより純粋に「やりたいこと」をやって生きられるなら本望ではないか。それが人生だと私は思っている。たとえ裕福な人生を送れたとしても、企業や社会の歯車のひとつで終わることを私の遺伝子は許さないだろう。

純粋に熱を持って生きる。情熱の基に生きる。やるべきこと、やりたいことをやって生きる。
それが父の背を見て私が学んだことだ。そのために周囲に迷惑を掛けようとも、他人を傷つけようとも厭うことなく、只々愚直に、真っ直ぐに、純粋に、自分がやりたいことを完遂すること。

社会性も協調性も無いけれども、私の中で私は一個の完結した存在。
だからやりたいことをやる。周囲に惑わされること無くただひたすら。

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