批判や愚痴が“臭う”理由をオナラで考えてみた
批判や愚痴が蔓延する社会は、まるでオナラが充満した空間のよう。オナラと批判には驚くほどの共通点がある──そんな視点から、言葉の“消化”について考えてみました。
2025-05-01 12:21:07
入力時間 / 13:05
ほとんどSNSを見ない私ですが、それでもニュース等でSNSの内容を見聞きすることが少なくありません。その内容の殆どは聞くに耐えないものばかり。分類するのであれば主に「批判」と「愚痴」が多い印象です。
なぜ私はこんなにも「批判」や「愚痴」に不快感をおぼえるのかと考えてみると、その大半はオナラのようなものだからなのではないか、という結論に達しました。
批判・愚痴とオナラの共通点
- 消化できないものがガスを発生させる
- 胃腸が弱いあるいは弱っているとよく出る
- 人前で出す人、出さない人がいる
- ほとんどの場合でくさい
消化できないもの
オナラは、小腸で吸収されなかった食べ物が大腸に送られ、腸内細菌によって発酵・分解される過程で発生したガスが体外に排出されるものです。それと同様に批判や愚痴も自身の脳内で情報をしっかり消化できていない場合にふと漏れ出すもののように感じることがあります。
どちらも「うまく処理できなかったもの」が原因で、無理に抑えることはできても、根本からなくすには消化の仕組みを整える必要があるのかもしれません。
胃腸が弱い・弱っているとよくでる
胃腸が弱っていると、食べたものをうまく消化できずにガスがたまりやすくなるように、心や頭が疲れていたり、余裕がなかったりすると、物事をうまく咀嚼できず、愚痴や批判という形で漏れ出てしまうことがあるように思います。
人前で出す人、出さない人がいる
オナラって、人によって扱いがけっこう違いますよね。
我慢する人もいれば、気にせず出す人もいる。場や相手によって態度を変える人もいれば、どこでも遠慮なく出す人もいる。
愚痴や批判も、似たようなものかもしれません。
内に溜め込む人もいれば、SNSや会話ですぐに吐き出す人もいる。
どちらが正しいという話ではなくて、その人の状態や関係性、場の空気によって「出方」が違うだけのこと。
ただ、やっぱり「出された側」がちょっと居心地悪くなるのも、両者の共通点かもしれません。だからこそ、「出す/出さない」だけじゃなくて、“なぜ溜まってしまったのか”に目を向けてみるのも一つの視点かなと。
ほとんどの場合でくさい
それにしても、オナラって、たいてい臭いんですよね。
誰が出したかよりも、「出たこと」や「ニオイ」の方が印象に残る。
本人にとってはスッキリしたとしても、周りにとっては「できれば嗅ぎたくなかった」って思うもの。
愚痴や批判も、似ているところがあるかもしれません。
本人は正しさや苦しさを抱えていたとしても、出し方によっては、聞いた人にとって強烈な“におい”になってしまう。
中身がどうあれ、出し方やタイミングを間違えると、それだけで空気が変わる。
だからといって、「一切出すな」と言う話ではありません。
ただ、少しだけ“におい”への配慮があれば、関係性も変わってくるかもしれない──そんなことを、自分自身に向けても思ったりしています。
少なくとも私はオナラが蔓延する今の社会を「良い状態」とは思わない。できればあんまり臭くない、よい香りのする社会になったらいいな、と思うのです。
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