和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(44歳)のブログです。

少年犯罪

川崎の中学生殺害事件を受けて少年法の見直しが叫ばれていますね。少年法って何でしょう。

2015-03-05 04:18:36
入力時間 / 24:11

少年法はザックリ言うなら「若気の至り」として刑罰を軽くするための法律ですよね。とは言え16歳以上であれば無期懲役もあるんですよね。18歳以上は成人と同じ刑罰にもできると。もう一つ、大きな議論の的になっているのが「実名や顔写真の報道が禁止されている」点でしょう。

週刊新潮が18歳少年の実名と写真を掲載したそうです。私はこれに関してどうかな~と思うんですよね。実名や顔写真を掲載する必然性が果たしてあるのかなと。18歳と言えばもういい歳ですが、大人と言うにはまだ若すぎる。事件の残虐性を踏まえても「調子に乗った若者がとった軽率極まりない行為」のレベルなんじゃないかなと。

別に18歳の少年を養護するわけではないんですが、もし私がその18歳の少年だったと考えたら今のこの状況、ゾッとするなと。なんて言ったらよいのかな。私自身が若い時にとてもアホだったので、あまり他人事に思えないというか。若いころってすごく馬鹿だったり、格好つけたり、調子こいたり、そういうこと私はあったんです。

とにかく調子こいて、他の誰かよりも上に立ちたかったり、いきがったり。私以外の若者のことを私はわかりませんが、若者って兎角馬鹿な側面があると思うんです。馬鹿だから人を殺していいってわけでは当然ありません。でも馬鹿なんです。ではそんな馬鹿な私が今まともにやってられるのってのは、両親をはじめ、友人・上司・知人・その他もろもろ物凄く多くの恵まれた人間関係に導かれたものだという確信が私にはあります。

では私にそういった人間関係が無かったとしたら。と考えると18歳少年を他人と私は思えない。とは言え、もちろん殺人であったり、そういった行為そのものは肯定されるものではないし、遺族の方にとって決して許されるものではないでしょう。なんと言ったらよいのかな~。難しいですね言葉って。

まぁ私は人に恵まれているから今生きていられて、もしも人に恵まれていなかったらきっと犯罪者になっていたんじゃないかなと思っているので余計そう考えるのかもしれません。当たり前みたいに持っている良識も道徳も、私は全部誰かから貰ったものであり、交流した誰かが教えてくれたものだと思っています。

そういう機会に恵まれなかった人には同情を禁じえません。いや、だからってその行為が許されるわけじゃないんだけども、図らずもそういう道を辿ってしまった若者に一縷の望みを残してやるくらいの許容も社会には必要なんじゃないかなぁと薄っすら思います。なんかものっすごく叩かれそうだけども。

馬鹿は死ぬまで馬鹿という説もありますが、人ってなんだかんだで周囲の人がつくり上げるものだと思うんですよね。少なくとも私はそうなんで。もちろん反省しない人は反省しない。性根が腐ってるヤツは腐っている。それはそういうもんだと思いますが、私は考え方が甘っちょろいのかな。

確定的犯罪に関してはアメリカのスリーストライク法みたいなものがあればいいのになと少し思います。仏の顔も三度までじゃないけれど、実際に服役して改心する人だって多くいるわけですから。い遺族の方の事を考えるとこんなこと書くことは物凄く無礼なことかもしれないけれど、それでも私は少年法というものに存在する意味はあると思っています。

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