和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(43歳)のブログです。

必須機能とUI

必須とは欠かすことのできないということだ。

2011-10-23 08:02:58
入力時間 / 15:12

UIやデザイン(設計)とは必須を考えること。と見つけたり!ということでたまにはマジメな話を。ある機能があり、それが必須かどうかを検討する事はアプリケーション開発において不可欠と言える。それはなぜかと言うと、多くの人が求める機能を全て表層に出したのであればわけがわからないものになるからだ。そう。ガラパゴス携帯のように。

ひらたく言うのであればそれは見せ方であり提案方法であると心得る。100人のうち5人~10人しか使わない機能を前面に出すのか、隠すのか。という話だ。必ずしもその機能を使うことが不可欠かどうかという事。それによってインターフェースは大きく変わる。

理想のUIは必要最低限

私の考える理想のUIとは必要最低限の表現に留める事だと思う。例えば10時間使ったとして、その内の5分間しか使わない機能は前面にある必要が無い。100人のうち5人~10人しか使わない機能も同様だ。これは人付き合いとも似ていて、万人に受けようとすればするほど焦点がブレていく。ここは割りきって8割の人間にとって使い勝手が良いものを目指すべきなのではないかなとも思うのだ。

もちろん少数派を切り捨てるわけではない。それは通知センターのようにイースターエッグ的な要素にとどめればよいと思うのだ。前面には出ない。しかしながら機能としては存在する。そう。それはスルメイカのように、使えば使うほど味がでてくるということだ。説明があいも変わらず下手くそだなぁ。

使用者が学習すること

必要最低限であり必須機能を考える時、使用者が「学習する」という事も忘れてはいけない。例えばWindowsXpまでは画面左下に「スタート」というボタンがあったのを憶えているだろうか。Vista以降はWindowsのロゴマークのみになったアレだが、あそこに「スタート」という文字がある必然は無いという事。なぜならWindowsを使うほぼすべての人がアレは「スタートボタンである」ということを学習しているからだ。それによりあのボタンの面積は40ピクセルは削減できただろう。これは学習によるところが大きい。初めて使う人には確かに必要な「スタート」の文字だが、憶えてしまえばもうそれは無用の産物なのだ。

学習するということは使用頻度が高いということ

使用頻度が高い機能ほど使用者は学習する。学習すれば明示する必要は無い。私が通知センターのアレで言いたかったのはそういう事なのですね。「時計のとこをグイッとやる」という行為は一度憶えたらまず忘れない。その一度のためだけにUIを変更するというのは、ある意味では勿体無いことなんですよね。

少しややこしい話になりましたが、必要最低限を考え、必須機能を考え、そして利用者が学習する事を考える。ユーザーインターフェースとはそういう事を考えた先にあるのかなと思います。私ももっと考えてモノつくらないとあかんねぇ。

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