和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(44歳)のブログです。

精神論

気合と根性があればできないことはない。と思っている。

2010-04-28 22:14:12
入力時間 / 18:32

精神の研鑽こそが人生と言っても過言ではない。強靭な精神を持てばできないことなどあろうはずもない。
しかし、昨今においてはその精神論が物議をかもす事が多いのも事実。気合や根性はもはや化石扱い。

最近の若者はなどと宣う気は毛頭無いが、こんな時代だからこそ気合と根性は大切なんじゃないか。
もちろん非科学的で無責任な精神論は問題だが、人間の精神や心理状態が及ぼす力はあまりに甚大だ。

例えば気合と根性で背を伸ばすことはできない。でも気合と根性で背を伸ばすための努力をする事はできる。気合と根性だけでプログラムを書くことはできない。でも気合と根性でプログラムを書けるようになるための努力をする事はできる。

私は精神論をそういうものだと解釈している。決して安直に結果を求めるためのヒステリックな気合と根性ではなく、大切なのは目的に対して臨むその姿勢とメンタリティであると。もちろん結果とは大切だ。スポーツでも社会でもどんなシチュエーションにおいても結果や勝敗はついてまわる。だが、そこに狭窄してしまっては軽薄な精神性しか身につかないのではないか。

気合だとか根性の類は人間の土台だと私は思っている。人が人としてある上での基盤であり礎であり器である。気合と根性で努力を重ね、頑張ってきた自負こそが己の糧となり、それが最終的には結果に結びつくのだと私は信じている。

昨今においては厳しい教育も体罰も法律で禁じられている。だが、それでいいのだろうか。

厳しく指導されたこと。体罰を受けたこと。私は全部覚えている。そしてそのことに今では感謝している。
そういった厳しい指導を受けてきたことも私の礎であり糧となっている事がよくわかるから。

何かを成し遂げようとするなら覚悟が必要だ。覚悟もなく権利を主張するだけならどんな人間にもできること。でもそれでは抜本的な解決にはなろうはずもない。厳しくてもいいじゃない。辛くてもいいじゃない。それは悪いことじゃなく、必ずよい経験として自身の糧になるのだから。

昔の人は言いました。若いうちの苦労は買ってでもしろと。
実際に苦労を買うことはできないが、苦労を甘んじて受け入れる事はできるだろう。
人間を形成するのは紛れもなくその苦労に他ならないと私は考える。

日本が他国と比べて素晴らしいのはその精神性。その精神性すら昨今においては失われつつあるのかもしれない。

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