和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(44歳)のブログです。

結婚観と子供について

今日は私の結婚観を熱く語らせて頂く。

2009-12-10 15:37:40
入力時間 / 00:07

私も凡庸な人間だけあって結婚に対する憧れが無いわけではない。が、しかしリスクを考えた場合、結婚という制度に魅力は感じない。別に一緒に居たいだけなら同棲してりゃいいわけだから。もちろん税制・福利厚生・節税などの観点から様々な恩恵を受ける事ができるのはわかる。しかしそれ以上に結婚とは膨大なリスクを孕んでいる事も知っている。

結婚とはM&Aと同じ

私にとって結婚とは企業買収や企業提携の類と差異があるようには思えない。両者間が合意し、両者の利害関係が一致して相乗効果をもたらすべく合併・提携・吸収するもの。ファジーな感覚的なものには到底なりえない。相互に明確な利害関係があり、かつそれが将来的にもほぼ約束されてこそはじめて結婚という契約を締結することができると考えるためだ。単に「好きだから」「愛しているから」「この人とずっと一緒に居たいから」などと馬鹿げた妄想を膨らませるほど子供ではないし、大人でもない。

結婚は百害あって一利なし

タイガーウッズの愛人問題が世間を騒がせているが結婚のリスクの最たる例がまさにアレだろう。男は誰でも浮気する。浮気しないやつは甲斐性が無いだけだ。性欲の塊の動物界・脊索動物門・脊椎動物亜門・哺乳綱・サル目(霊長目)・真猿亜目・狭鼻下目・ヒト上科・ヒト科・ヒト属・ヒト種の人間がどれだけ粋がって見たところで性欲に勝てるものか。「浮気するな」という契約は「睡眠するな」という契約と同じくらい馬鹿げた契約だ。人間の本能・根源的欲求を自制してまで結婚という契約を結びたいと思うだろうか。馬鹿馬鹿しい。慰謝料をとられて終わりである。もしくは家庭・夫婦という形骸を守るために自身の欲求を抑制するかどちらかである。

契約とは制約

結婚もひとつの契約である以上、様々な制約が付くわけです。では制約を受けるに足る利点がどれだけあるか。それは企業間契約でも同じことですが、ビジネスでは費用対効果を考えられるのになぜか結婚ではその辺の感覚がファジーになるのはなぜ?もっとシビアに結婚という契約についてしっかりと吟味すべきではないか。だからきっと結婚できないんだろうなぁ。

子供は可愛い。が、愛玩動物ではない。

「子供好きだから子供がほしい」という趣旨の発言を耳にすることがあるが、そういう類の人間はぜひペットショップに行って犬か猫を買ってきたらいいと思う。子供は愛玩動物では無い。「可愛いから作る」「好きだから作る」という考え方は間違っていると私は思う。もちろん私も子供は好きだ。可愛いと思う。でも子供を作ろうとは到底思わない。子供の親に足る人間では無いと自覚しているし、子育てに労力を取られるならばもっと仕事に情熱を注ぎたいと考える人格破綻者だからだ。

正直、子供はとても欲しい。でも子供を得ることで今の自身が成そうとしている事が成せなくなるのであれば、きっと自分は後悔する。そして子供ができたら自分は大きく変わるという確信がある。仕事が一番ではなく子供が一番になってしまうという確信がある。だからきっと子供は作らないだろうなぁ。あぁ子供がほしいなコンチクショー。

私には夢がある。私には目的・目標がある。家庭を築くこと、子供を得ること。それらを手に入れられない事を犠牲だとは思わない。私には私が選んだ道がある。それは何人にも不可侵であり、貫くべき道だと信じているから。

もちろん家庭を持ちながら頑張っている人、たくさんいます。
でも私はそんなに器用でもないし、精神が強くも無い。

自身の夢の展望がしっかりと見えて揺ぎ無い確信を得られるまでに至ったとき、きっとはじめて結婚という選択肢が私の中に生まれるんだろうなぁ。遠いなぁ・・・。

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