和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(43歳)のブログです。

人生ゲームと独我論

人生なんてゲームと同じです。お偉いさんにはそれがわからんのです。

2009-02-17 00:05:49
入力時間 / 21:36

人生と言うと崇高で大切なイメージがありますが、人生なんて死ぬまでの暇つぶしです。
だからもっと人生は無碍に扱うべきであって、大切にするもんじゃない。

独我論をご存知ですか?唯一無二の真が自分であって、自分を除いた全ては自分の創造の産物ってやつ。
大雑把に言うとですけどね。

だから自分以外はすべてうそ。というか自分が作り出した創作。みたいな概念なんですけど。
つまり自分が死すとき世界も終わるって事ですかね。

だから社会にも世界にも他人にも価値は無いし、同様に自分にもやはり価値が無い。

そういう意味では人生とテレビゲーム似たようなもんである。なんら変わりない。唯一相違点をあげるなら、テレビゲームはやり直せるけど、人生は非可逆的であり、やりなおしが保証されてはいないという1点のみ。輪廻転生があるとすれば、まさにやり直しが効くことになるが、それを実証した者はだれもいない。

っつーことで人生もゲームと同様に気楽に楽しめばいい。努力の必要も無ければ頑張る必要も無い。
だってそうでしょ。ゲームをやり込む事を努力とは言わないし頑張るとも言わない。だからそういう意味では努力も頑張りも必要ない。ただ、このいま生きている世界観を楽しめばいいだけ。自分の経験値を上げることは努力でも頑張りでもない。ただ自分の自己満足の産物だ。

人生とはとても楽なもんである。ただ生きて楽しむ。それだけ。難しく考える必要は無い。

ひょっとしたら今の自分はすごい未来の人間が作った人生ゲームの盤上でまさに人生をシミュレートしている駒のひとつかもしれない。過去を含めて絶対的なものはこの世に無い。過去の記憶は不確かで、本当に確証を得られるものはまさに今の自分だけだ。

他人との相互理解など幻想にすぎないとMASTERキートンにも書いてあったし、私もそう思う。

では何のために生きるのか。それはもちろん自分のため。自分が楽しむためだけに生きるのだ。
決して苦しむために生きるわけではないが、苦しむこともまた楽しむのと同義。

私の父は本当に「自分のために生きた」と言える人でした(まだ生きてますよ)。そんな父を私はとても尊敬していて。母はとてもそういう父を嫌っていましたが、私から見るとその父の生き方は理想的で、純然な生き方だと思った。他者のために生きる人生に価値など無い。自分が自分にとって楽しい人生を生きるために自分はこの世に生れ落ちた。だから他者の価値観に干渉される必要など無い。

自分が、自分だけが楽しければよい。それがいい人生ってもんだ。B型節全開ですいません。
でも私はそう思っています。だから私は自分のためだけに生きています。

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