和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(43歳)のブログです。

見栄と幸福

人間は見栄をはる生き物です。どんな人でも少なからずあるのではないでしょうか。

2008-11-17 23:02:53
入力時間 / 18:08

なぜ見栄をはるのか。それはきっと他人よりも自分が少しでも1センチでも、1ミリでも上に立ちたいからではないでしょうか。自分が他人より幸福だと思いたいのと同じで。

なぜ他人より幸福でありたいと思うのか。例えばこの世に自分しかいなかったらそんな考えは生まれない。なんで他人と比較するのか。それが社会性というものか。またはそれが民主主義というものか。

他者より幸福でありたい

そう考えるのはなんでなんでしょうね。そもそも幸福ってなんだ。幸福って自分の中の話だけじゃないのか。高級車に乗っていれば幸福か。美男美女と結婚できれば幸福か。お金を持っていれば幸福か。幸福ってなんだ。なぜ幸福でありたいと望むのか。憲法にも「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」というのがありますが、だから幸福ってなんなのさっ!

幸福

「満ち足りていること。不平や不満がなく、たのしいこと。」だそうです。ではなぜ他者よりも満ち足りていたいと思うのか。謎ですよね。そう思う人はきっと人生自体が他者に又は社会に帰属しているからそう渇望するんだと思う。

自己の帰属

本来自己は自己であるべきであり、それは確固たる独立した存在であるべきであるが、社会は学校や企業といった団体行動/集団でいる事をある種強要するシステムになっている都合、自己の帰属先が必ずしも自己になるとはいえない状態を生み出しているのは間違いなく国家であり世界だ。それは哲学的見地から見て必ずしも人類の進歩に良い材料となるとは言えないのではないか。

インターネット社会

凄惨な事件が起きるたびにインターネットや2ちゃんねるが取り沙汰されるが、インターネットの掲示板の中ですら、見栄をはったり虚勢をはったりする輩が多いのは事実。それはなぜか。社会から隔絶しているはずの人間がインターネットの中でも社会に帰属している人間と同じようにやはり見栄をはったり、他者との幸福比較を行うのだ。それはなぜか。それはインターネット自体がすでに社会と化しているからにほかならない。

孤立と独立

故に私は人間はもっと孤立せねばならないと思う。コミュニケーション手段が多様化している現代だからこそ、人間はもっと孤立し、自己と向き合う必要があるのではないか。常時、他者とかかわり合いを持つ事が必ずしも善しとは言えず、無論完全に人間関係を断絶する事が善しとも言わないが、今は他者とのかかわり合いが多すぎるのではないか。他者と関わる事で人間は結局他者と自分を比較する。それが見栄を生んだり虚勢を生むのではないか。

幸福の尺度と自己への回帰

幸福の尺度は本来、皆人それぞれであるにも関わらずメディアや人付き合いの中で形成された「一般的幸福論」とでも言うべきものに回帰する結果、自分の持つ本来の幸福論とは別な尺度で幸福を捉える事に寄ってそれが他者との幸福の比較に繋がるのではないか。自分自身の尺度をしっかりと持つ事に寄って他者との比較は消え、社会へ帰属する事無く、自分自身への帰属へと繋がるのではないだろうか。

孤独=悪いイメージ

なぜ孤独ではいけないのか。なんとなく悪いイメージありますよね孤独って。でも孤独ってすごく良いです。一人でいる事は自分と向き合う事につながる。それに善し悪し全てが自分のせいだから他者のせいにすることもない。責任は自分が持ち、また自分の責任によっていろんな事ができる。視野は狭窄するかもしれないけど、いまはインターネットがあるから大丈夫!アインシュタインも孤独を望んでいたらしい。本で読んだから間違いない。

結論

何を言いたかったかと言うと、見栄をはるなと。見栄が生み出すものは無い。他者と自分を無駄な部分で比較する事は愚かな事ではないかという私見です。もちろん全てのカテゴリにおいてという事ではなく、少なくとも幸福自慢ほど馬鹿げたものはない。自分が自分の持つ尺度で究極の領域に達する事ができるよう日々研鑽しいく事と他者はなんら繋がりのないものではないか。
最終的にはやはり自分自身との決着。死ぬまでに究極の自分を作り上げる事ですよね。

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