和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(44歳)のブログです。

Web2.0と進化論

各メディアでWeb2.0は死んだと言われているが、Web2.0とはなんだったのか。そもそもWebとは。

2008-11-08 13:12:31
入力時間 / 00:31

10年前にはありえなかった生活環境

ティム・バーナーズ=リーがwwwを提唱してからはや19年が経ちwwwが世界にもたらした影響は計り知れない。
まさに今、Web抜きでは生きられないような時代となったわけですが。そもそもWebとは何なのか。

wwwが生まれる前の世界は情報がすべてスタンドアローンであり、情報が世界中に散らばっている状態だった。
パソコン通信やwwwが始まるにつれてそれらの情報が「インターネット網」という線でつながり始めたわけである。
それがいわゆるWeb1.0でと呼ばれていた時代の話。

その時代からさらにインフラ整備による回線の高速化が加速し、当然PCの性能も向上したことにより扱えるメディアの質が大きく変化してきた。初期ではテキスト・画像だけだったものが音声に、映像に、インタラクティブコンテンツへと姿を変えていった。さらには回線普及率の向上やモバイル端末の普及により特定の人間だけが発信する場であったWebに一般コンシューマが多く参加できるように性質を大きく変えていく。それがWeb2.0と呼ばれる時代の幕開けである。

Web2.0とはなんだったのか。今では完全にバズワードとして扱われているが、確かにWebの進化の足跡だったのではないか。
それはあたかも自動車のようであり、上下水道のようであり、カラーテレビのようでもある。
「普及」するというトリガーによりもたらされた新しい時代の幕開けだった。

ただそれによってWebの本質が変わる事は無い。

昨今のWeb業界は少しWebの本質から離れてきているように感じられる。
バイラルやティザーと言われるようなマーケティング手法やビジネスモデルが先行して本来主軸とすべきサービスや商品の本質を無視した展開をよく目にするが、それは商業の本分を考えていない、地に足の付いていない行為ではないだろうか。

商業のみではなく、それは人生と言うべきか、人間と言うべきか、我々人類が生きる上での本質。
生きるとはなにか。それが人間の根底にある探求の起源であることは過去も未来もきっと変わることは無い。

美味しい米を作ってその対価を得る。商売の根源とはそんなところではないか。
不味い米の売り方を工夫するというのは商業の道から逸脱した行為ではないだろうか。

資源枯渇や少子化によって近い将来、本質主義へと移り変わっていく事は間違いない。
ドットコムバブルの崩壊と同様、IT産業全般は今までよりも単価が大幅に引き下がり、安定期に入るだろう。

その時代を生き残るためには愚直に技術や情報を積み重ねる以外に道は無い。

ダーウィンの進化論のように競争・淘汰により社会が進化していくのであれば、
ITという一過性の急激な進化は数年後、痛みとなって社会に返ってくるだろう。

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